ショウペンハウエルに似た人 1


 この、一部からは絶賛されている無名の哲学者の名を、あなたは聞いた事があるでしょうか?
 その一部とは、たとえば彼のよき先輩でもあり、彼を高く評価したかのゲーテを筆頭に、トーマス・マン、キルケゴール、ニーチェ、ワグナー、トルストイ、広範な分野の超一流が勢揃いです。しかも、ただ影響を与えたという、漠然としたものではありません。ショウペンハウエルは彼らのよき伴侶でした。
 たとえばワグナーは、その音楽同様の情熱的な手紙を彼に綴ったと言いますし、トルストイが生涯のうち、書斎に架けた唯一の肖像画は、ただショウペンハウエルのものだけでした。他に話し相手は、いなかったのです。

 何故これほど多くの著名人から尊敬を受けているのでしょう? それは、ショウペンハウエルは、その著作の内容もさることながら、
 『 読者に霊感を与える力 』
 これが、抜群だからです。ほとんど、奇跡と言って良いでしょう。それは、彼ほど上手に読み手を内面性へと導いてくれる者はいないからです。

 では、ショウペンハウエルとはどんな人か? 信頼に足る人々の、ご意見を聞いてみましょう。
 (別ウインドで立ち上がります。『 閉じる 』と ここに戻ってきます。)

 ゲーテ  姉崎正治  フロイト  ユング

 自らも素晴らしい作品をなしているが、その作品が多くの超一流の人々を育て上げる ……… 人間に出来る事ではありません。他にこんな事をした人と言えば ………

 ……… 一人いました。手塚治虫です。
 これは感動的なお話なので、多くの方がアップしておられると思います。
 手塚治虫が住み、次々と作品を発信し続ける『 トキワ荘 』と言う安下宿。ここに、彼の作品に当てられた漫画家の卵たちが、日本中から集まってきます。

 藤子不二雄・石森章太郎・赤塚不二夫・寺田ヒロオ・水野英子・鈴木伸一・森安なおや・よこたとくお・つのだじろう ………

 みな、一流以上ですが、その後の漫画界を背負い、大きな影響を与えた人達ばかりですね。しかも、実際に住んだり出入りした人達だけでなく、著名な漫画家の中に、
 「 私は手塚先生のような作品を書きたく、 」とか、「 手塚先生の作品を読んで、 」
 と言っておられる方が、少なからずいらっしゃるのです。最近知って驚いたのですが、矢口高雄先生も、『 ボクの手塚治虫 』と言う一冊をなしておられます。
 しかし、作風も分野も、バラバラですね。仮面ライダーとドラえもんと三平三平を並べて、その作者達が一人の作家の影響を受けたとは、とうてい思えません。

 彼らの共通点をあえて言うなら、
 『 きわめて個性的。 』
 これ以外には、ないでしょう。

 これは、ショウペンハウエルの傾倒者達にそっくりです。

 何故こんな事が出来たかと言うと、手塚やショウペンハウエルは、
 『 読み手を自分自身に対面させる事が出来た。 』
 おそらくは、これです。それで、手塚作品を読んだある者は、『 サイボーグ009 』『 仮面ライダー 』などの、まことに男の子らしい夢を描き、ある者は『 ドラえもん 』『 パーマン 』などの、子供が少年少女と成るためには、是非とも必要な世界を。またある者は、見慣れた小川に行き、釣り糸を垂れて『 釣りキチ三平 』を、
 それぞれ、『 自分が本当におもしろく感じており、表現したいものに、向き合わされた 』のでしょう。

 しかし、どうしたらそんな事が出来るのか? もっとも古典的な次の二本のアニメの中に、そのヒントがあると思います。

 『 鉄腕アトム 』について

 『 リボンの騎士 』について

 このように、アトムにせよリボンの騎士にせよ、子供時代の我々にとって、それはまさに「 本当の自分の物語 」。自分の日常を支えている、一つ下の階層の心が、明日を切り拓くために日々、繰り広げている営みの、物語そのもの ……… だったでしょう。
 今やどの曜日、どの時間帯にも本当におもしろく、優れたアニメが放映されていますが、30分の番組枠を持った最初のアニメが、週にただ一本だった時代に放映されたのが他ならぬ『 アトム 』だったのは、幸運な事だったと思います。


 ところで何故、ショウペンハウエルも手塚も、読者を見事に内面性へと導くのでしょうか? だいたい、『 内面性 』とは、何でしょう?
 あんまり簡単な説明で申し訳ありませんが、それはワンランク深い、意識の階層の事でしょう。

 読み手の個性を本当に触発し、その人自身の歩みを促す力。それは、心の一番深い所と、目の前の現実世界との間を、自由に行き来する能力です。

 ショウペンハウエルも手塚も、事象からイメージ、イメージから事象の間を、まるで水面を跳び遊ぶ魚のように、巧みに行き来して、読み手の中の眠っているものを、呼び覚まします。それは、イメージが形を持つ寸前、まさに水面上の波紋、さざなみです。
 目の焦点がそこに合うように、出来ているのでしょう。より高くでも、より深くでもない、まさに水面上です。音楽で言えば、童謡やビートルズと言った所でしょうか?

 これは、「 大作家なら持っている 」と言うものでもなく、たまに気まぐれに与えられる珍しい才能で、何かの分野の創始と完成の時に、誰かに不思議に現れるものだと思います。
 トキワ荘の人々が手塚作品に見たのは、自分自身の個性だったとしか、言いようがありません。

 この一点で、まさに手塚治虫はショウペンハウエルに似ている。ぜひ、その恩恵に与りたいものだ ……… そう思います。


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