フロイトは?

 フロイトの高名には並ぶ者がありませんが、そのフロイトが
 「 精神分析の創始者は、私ではなくショウペンハウエルである。 」
 と主張しているのを、ご存じでしょうか? (存在と意識とは同じものから生まれ、同じ法則によって作られており、そのため非常に似かよった所があります。これが、心理学者が常に哲学から学び、哲学者がしばしば心理学的な事に言及してしまう事の理由ですが、)フロイトは次のように述べています。

 「 無意識の精神の動きがあるという考え方を受け入れることが、科学と生に対して影響するところがいかに大きいかを、きわめてわずかな人しか明らかにすることができなかった。しかし、ここで急いでつけ加えて言っておきたいのは、精神分析がこの道をはじめて歩んだのではないということである。ここで、先駆者として有名な哲学者たち、とくに偉大なる思想家ショウペンハウエルの名をあげておこう。彼が唱えた意識されざる《意志》は、精神分析のいう心的衝動と同一視される。それにこの思想家は、忘れることができないみごとに表現された言葉を用いて、人びとに対し、つねに過小評価されてきた性的衝動の重要さについて警告を発した。 」(金森誠也 訳 『精神分析のむずかしさ』一九一七年 白水社『ショウペンハウアー全集 11』 訳者あとがき より)

 「 見事に表現された言葉。 」そう。ショウペンハウエルの表現力、たとえば比喩ひゆ (たとえ)のうまさは、しばしばイエスとさえ、並べ評せられます。
 この比喩のうまさと言うのは、世界を常に意志、イメージの側から見る事が出来たと言う、よい証拠だと思います。

 そしてこの文章を読む限り、彼はユングだけではなく、フロイトにも非常に大きな影響を与えていた事が、うかがい知れます。


 上のフロイトの発言は、ショウペンハウエル哲学と分析心理学、この両者の概要の、不思議な相似について語ったものですが、その他、ショウペンハウエルがどのように心理学に影響を与えたか、少しだけ見てみましょう。


 《訂正とお詫び》ショウペンハウエルが心理学の創始者だったと取れる表現を数日間、掲載していましたが、よく考えるとこれは、心理学と分析心理学を混同した表現でした。お詫び申し上げます。
 正しい知識は、こちらの方がアップしておられます。(05'5/9)

心理学の歴史


 その他、行動を複数の欲動の立体的なベクトルの結果のように大雑把に捉えたり、下に見られるような示唆深い事を、多く書きました。)

 彼は「 自然のさまざまなものは、人間の思考に似ている 」と語り始め、「 たとえば 」と、水にたとえて、(これだけでも、なかなか驚いた事です。)水が何かの容器からあふれそうに成っても、なかなかあふれない。これは、逡巡しているように見える。ところがいったん出口を見つけると、一気にあふれ出し、その場所からばかり流れ出す ………

 だいたいそう言った意味の、短いエッセイです。『余禄と補遺パレルガ ウント パラリポメナ 』の一節には違いないのですが、ちょっと見つかりません。うろ覚えで申し訳ない。

 で、なるほどなあと感心している間に、「 そう言えば流れ出した水も、いったん道筋がつくと、そのルートでばかり流れるなあ。 」などと、中国の大河の氾濫などを思い出したりして、
 「 最初のルートは、通りすがりのアリさんとか、小石とかに偶然影響され、上から下へと ……… この場合の上とは何だろう? 水って、勢いが良かったり、たまって腐ったりするなあ。……… 人間の思考は、他には風に似ていないか? 易経ではなぜ火としたのだろう?  」などと、色々思いを巡らせます。

 これです。彼の文章は、読んだ以上に読者に考えさせるのです! そして彼に触発された考えが、読み手にとって非常に価値あるもののように感じられる、何か宝物をもらったような気持ちに成るのは ……… ちょうどソクラテスの質問に答えた人と同様です。たくみに読み手の心からその人自身をつかみ出して来るのは、腕の良い漁師が魚を釣り上げるのにも似ています。

 ショウペンハウエルは明らかに、上の文章で、特に人間心理の普遍的な何かを表現しようとした訳ではないでしょう。
 しかし、思考を流れ、運動・聴覚系で捉えたら、これは心理学に広い応用が効きます。
 養老孟司博士も、「 小さい頃エンドルフィンとともに経験した事ほど ………云々 」と言っておられましたが、確かに大筋の思考や行動、感情のパターンは幼少期に形成されますし、三つ子の基本回路は百までです。
 そう言えばフロイトは、人間の精神の多くを幼少期から説明しましたね。特に上のエッセイから影響を受けたとも思えませんが、フロイトはきっと、これらの文章から、深い感銘を受けた事と思います。

 その他、ユングも幼少期にすでに人生全体の準備がなされていたような例を紹介しています。これなど説明の半分は、『イメージの現実形成力』と言う事に成るでしょうか。「 水(心)が道筋(人生)を作った 」ようです。
 また、ちょっと感情移入できない、したくないような凶悪犯罪や、「 なんでこんな欲望を持つんだろう? 」と、真剣に首をかしげるような例も、この「 水の道 」の、ねじくれ、ひん曲がりで、切り口を見つける事が出来ます。
 「 流れの制御 」と言う考え方をすれば、治療法や、仏教の修行法の中にも、色々思い当たる事があります。

 ちなみに、このHP本文の『坎為水 五』、
 「 迷い水 まだあふれえぬ 穴のふち ……… 」
 と言うのは、作ってから三ヶ月ほど経ってから気付いたのですが、上のエッセイの表現を借りています。
 このようにショウペンハウエルは、意識できるか出来ないか、ほとんど思い出せるかどうかのギリギリの所に、強い影響を与えます。
 そうして、世間一般の水準から見ても記憶力の悪い私に、一度きり読ませただけで、二十年の時を貫いて、必要な時には「 ドンっ 」と力を貸してくれるのです。
 もしかするとフロイトに賞賛されるより、こっちの方がスゴイ事かも知れませんね。(笑)



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