更新記録
校正日誌 2019.03 14
校正日誌 2019.0131
かなり前からスマホ対応に書き換える努力をしている ……… のかいないのか。
遅々として進まず。本日はじめて、トップページを書き換える。
バーのうち12項目を 『 易の基礎 など 』 に畳む。
そうして、今まで一枚板だった本文を、64枚にしてテーブルに貼ります!
というのも、あれいい加減、100KBくらいあり、屋外スマホの使用者に申し訳ない。
そうして内容も、書き換えます。何と言っても、スマホではポップアップが出ないのが、痛い。ページごとに出るよう設定できるそうですが、そんな面倒臭い事、作者本人も、やってられませんっ。( 笑 )
内容も、大幅増補しますよう。判断も細分化するのではなく、象意ごとに理由づけしながら分類し、理解と記憶を助けたいと思います。「 出来るだけ 」 ですけれども。
まず近日中に、 『 乾為天 』 だけ貼り付けるつもり。乞うご期待。昔ながらの一枚板も、見れるようにしておきますね。
そうして出来た暁には、これは何年か後に成るかも知れませんが、サプライズも進行中 ……… なんだろうか?
というのもっ、いよいよ定年近し! 定年後は占い師だっ。夢は全国ドサ回り行脚だっ。
今日から宮沢賢治の大作、『グスコーブドリの伝記』のアニメ映画が封切りされる。
あれは、いま見られるべき作品に違いない。
に合わせて、エッセイの『宮沢賢治の小品 猫について』を多少補筆してアップ。
できたら本格的に書き直したいものだ。
作後挿入 これ、いつの話だろう?
校正日誌 2012.0504
『太陰大極図とは何か?』を、タグを直してアップ。多少の補筆をする。
もう、あまりに「ずんべらりん」と一行が横長く成ってしまうので、泣いていた。
もう、これでよし。
校正日誌 2012.0303
『太陰大極図とは何か?』をかなり補筆してアップ。
4/18 テニヲハを直し、更に補筆してアップ。
校正日誌 2012.0120
昨日、長く頓挫していたカウンターをお世話に成っている2styleさんの無料版に変える。
09年5月末、母倒れる。これは覚悟していた。しかし、その状態で生き残るとは、まったくの予想外だった。脳のクリッピング手術などと言う大手術を、庶民が受けられるように成っているとは、ぜんぜん知らなかった。
物理的に時間がなくなる。
この年の正月、おみくじで7回連続凶が出るという、異常であった。
改名の儀
わたくしこと駄酒 煽、このたび『木村 燃灯斎』と名を改めさせて頂きました。
これはたまにメールなどを頂くと、「駄酒さん」などと呼ばれ、呼ぶ方も言いにくいだろうなぁと気にしていたもの。
これで普通に「木村さん」と呼べます!(笑)
新しいHPを出しまして、それをきっかけに、と言う訳です。
このHPには、太陰大極図の説明があります。実は、『易経数え歌』を出してすぐ、「太陰大極図は説明しなければなあ、」と思っていたのですが、なかなか難しく、面白い題材はないか? と探して、見つかったのが何年前か? 下書きを見ると、「君子豹変を昨日アップして云々」とあるので、ほぼこのHPと同時です。長かったなあ ……… 何を考えているのでしょう? さっさとアップすりゃ良いのにねえ。(難しかったのです。ものすごく。)
新HPの題名はなんと、『モナリザの秘密について』
http://beauty.geocities.jp/nentousai/index.html
太陰大極図についての説明は、
http://beauty.geocities.jp/nentousai/honnbunn/haikeinohonnsitu.html
背景の本質《四分割》と、それに続く、
太陰大極図とは何か?
http://beauty.geocities.jp/nentousai/honnbunn/taikyokuzutoha.html
です。太陰大極図に関心のある方には、面白いと思います。
まだ検索サイトに見つかっていないので、(ここからリンクを張ると早く見つけられそうなので、)申し訳ありませんが、上のアドレスをコピペしてご覧下さい。
未完成ですし、単独でどの程度の期間で見つけられ、順位を上げてゆくか、ちょっと実験してみたいのです。
それと、校正日誌「出来るまで 中」の、「死ぬ奴もいるそうだ。」と言う表現を、「死ぬ事もあるそうだ。」に書き換える。
これは前々から気に成っており、最近また歯が痛くなり、どうも菌が定着したようで、これは死病に成るかも知れんなあと言う気がしてきて、それ以前から「ああ言うナメた事を言っていたら、ぜんぶ七倍になって自分に返って来るのに。」と反省しながら放っとらかしにしていたもの。
駄酒煽、虫歯に死す。まあっ、それらしい。(← こういう奴ほど、長生きして迷惑をかける。)
『パソコンで出来る易』の2、Ueda教授の『立卦』ソフトを削除する。これはずいぶん前から接続できず、つまりダウンロード出来ず、私自身、復活を待っていたもの。検索はたまに出来なくなる事があり、このサイトも検索サイトから消えて、「あ、短い命だったな。」と何度か思った事がありまして、(笑)最初はそれかなと思っていました。
しかしいくら何でも閲覧者に失礼と思い、削除しました。
ある人が、「大学生の間では易はミーハだと思われている。」と教えてくれた事があります。大学ったら最高学府で、易ったら四書五経の筆頭でしょう。それはないと思うのですけどねえ。しかしもしそう言う事の影響だったら、実にオソロシイ世の中に成って行きそうです。
易やタロット等の何が良いかと言うと、『抽象から具体を推察する力』を養えると言うのが一つ。この世界では母と大地、猫と風と娘、若草と子供、愛と死は同じもので、実に意識は世界をそのように見ています。底の底まで潜れ、何にでも幅広い応用が効きます。
ついに新しいパソコンを買いました! HDは6G→250G、CPUは400M→2G、メモリは128M→2Gへ。しっかしビスタは難物で、今までの、特にフリーソフトが多く使えないと言うのが難点。『ぐるぐる易』もショートカットを右クリックから「管理者として実行」しなければ成りません。しかしちゃんと使えるのは御の字です。
また古いソフトは、右クリック→プロパティ→互換性 で、2000やXPを選んだりするのですが、あちこちで「本当にこんなソフトを実行する気ですか?」「責任は取りませんよ?」「後悔しませんね?」と聞いて来て、「結局実行できませんでした。」(笑)そんな中でも『立卦』はすいすい動き、やはり大学教授って頭がいいのか、「徹底して軽いソフト」が功を奏したのか、惜しいソフトでした。どこかに落ちていたら、拾って置く事をおすすめします。復活したら応援します。
今、Windowsの今後を占ったら、小過→帰妹。さて、どう判断しましょうか?
言い忘れておりましたが、『土用、ウナギの思い出』の書き直しに、『矜持』と言う言葉を使い、ホップアップの解説に、
「きょうじ」自信や誇り、またそのより所。おおむね「アイデンティティー」の意。多分この言葉がすたれたので、横文字を使うように成った。
と書きました。じゃ、なんで廃れたのか? こんな大事な概念が ………
『矜持』と言う漢字も、姿がすらりとして、かっこいい。
「きょうじ」と言う音も、上品で凛として威厳があり、おまけにしゃれている。
これは、あまりにも格好良すぎるから、使われなく成ったんじゃないか? 加えて人の本音と言うのは、クサイものです。矜持と言うのは本音を支える根っこのようなものですから、非常におおげさに成ってしまう。下手に使うと赤面してしまう。なかなか微妙な場面にしか使えない。それで
矜持と言うのは、本人がそのために生きていると思い込んでいるような信念が、日常にちょっと出てしまった時に、使う言葉です。
ここ数年、この言葉の復権がかすかに見えるような気がするのですが、これは世の中に期待すべき事かも知れません。
どうでもエッセイ『土用・ウナギの思い出』をアップ。馬鹿々々しい短文です。暇つぶしにどうぞ。
20070621『森は生きている』(女王の孤独)書き終える。何故か保留していたものを、ついでにアップする。
これはたいした事のない文章ですが、この十五年間の結晶。今まとめておこうと、他のこと全部中断して、書き終えました。
「人は周囲を自分の人格の一部としてしか見る事が出来ないからです。」の一文、もっと屁理屈たらしい場所に出すつもりでしたが、『森は生きている』の読者は子供だけでなく、演劇をやっているような人達もいると知り、「もしそんな人達の演技に支障をきたす事が出来たら、どんなに素晴らしいだろう。」(笑) と思って、出す。多分、そう新しい事でもありませんし。
しかしあの作品には、本当にまだまだ色んなものがあります。たとえば第四幕p161の「あなたさまは、ごじぶんのことより、わたくしのことに、ずっと注意ぶかくていらっしゃいます。」などの女官長とのやり取りは、強烈な皮肉ですが、楽しくさらさら読ませてしまう。そして女王は怜悧でも、お人形遊びをし、動いたら暑くなる事さえ知らないほど、現実に一歩も踏み出していない。この独裁者の常を、幼児性や孤独と合わせて考えさせられてしまいます。まあ本人には、なかなか聞けない事ですからね。(笑)
何より『火を囲む人格化された円』と言うイメージを他の文化から探すと、四人、八人、十二人の例と、壮大な話に成ります。
私も十二の月が一時に会し、焚火を囲んでいる場面にはゾゾッとしました。
翻訳者の湯浅芳子先生は、王女がものを頼む時、「教えてくれられるね?」と、舌をかませます。(p132)『あとがき』によると、湯浅先生は、マルシャークご一家と交際があったそうです。文豪は逝かれた後と言う事でしたが、本当にこの作品を愛し広めた素晴らしい方だったのでしょう。82歳、1979年の時点で ……… ありがとうございました ………
firefoxと言うプラウザを使っている方が、「リンクに飛べない」と教えてくれる。さっそくfirefoxをダウンロードして、ご指摘どおり階層を表す\を、/に変えると、リンクに跳べるようになる。firefoxでは階層を表す\タグは使えないようです。
校正日誌 20070308
カウンターを変える。去年の5月から不正確なカウンタを使っていた。これは、良いカウンタはクリックするとHサイトに飛んだりするので、諦めていたもの。久しぶりに正確な使用者数が分かる。やれやれです。ヒット数、減るだろうな。しくしく ………
校正日誌 20070219
トップページに、
「凶がでたら、『早川徳次 小伝』を読んで下さいっ。無効に成ります!」
の一文を添える。あの文章は、ヨイ。世間様の評判も、ヨイ。何故か? 私が考えて書いたものでは、ないからです。(笑)
ところで10日11日、連続して家の外壁にナメクジが這っている。それ用の除去剤をまく。19日、雲雀がホバーリングしてさえずっているのを、薫風の中に聞く。春ですなあ。
「あの、二月なんですけど ……… 」
奈良テレビでは、ウグイスが一声鳴いたと言う報告があったそうです。
恐くなって来るじゃないか。
校正日誌 20070125
エッセイ『芥川は天才か秀才か?』の中で、
「東大に入ってはじめて成績の順位が2番になり、………」と言う記述に対して、実は「一高に入って」成績の順位が2番に成った事が判り、その段落ごと消す。
「東大の前身一高」と言うフレーズは、何度も目にしましたが、「日本に自分以上に頭の良い者がいたとは、驚いた。」と言ったという逸話は、人から聞いた話であり、あ奴は信頼できる人間で、おそらくちゃんとした出版物から読んで聞かしてくれたに違いないけれども、この話自体すこし神話じみており、削除。
校正日誌 20060112
ネット上で「毎週放映されるアニメは『鉄腕アトム』以前にもあり、アトムは、30分枠のアニメとして、初めてのもの」と言う文章を見つけ、エッセイ、『ショウペンハウエルに似た人』のアトムに関する部分を書き替える。
「最初のアニメ放映番組『鉄腕アトム』」と言うフレーズは、テレビ等で何度も聞いたりしましたが、それ以前の努力を無視する格好になるので、凶。マメに直しましょう。
校正日誌 20061227
27日、エッセイ、「宮沢賢治の小品『猫』について(賢治は猫嫌い)」の、大幅書き直しをアップ。
実は私の文学の師匠はロマン・ロランでありまして、彼は、
「もし読者に利益すると判断した場合、容赦なく文章の流れを断ち切った。」
と言って、本当にぶち壊しよるのです。たとえば代表作『ジャン・クリストフ』の中で、
「人間は酒を飲んでいる時、怒っている時、そして病気の時、絶対に重要な判断をしては成らない。」
と言うセリフが、まあ10回も出てくるでしょうか。三回目くらいまでは感心しますが、五、六回目くらいから、だんだん腹が立ってくるほどです。そして読後しばらくすると、心服してしまいました。
以後この態度は、私も勉めて真似(まね)るようにしました。
しかし、私がロランのマネをしても、同じ効果は得られないのに気付き、(笑) なるべくステップを踏み、読む人の邪魔に成らないように心掛けるように成りましたが、これは醜い自慰行為と、いつも紙一重です。
賢治相手にこれをしたのには、罪悪感を覚えます。。
と言うのは、賢治は誰にとっても、一種『神聖な』ものだからです。
「優れている」とか「卓抜した」とか「愛に満ちた」とか、そう言うのを全部捨てた所が、賢治への第一歩でしょう。それをまあ、屁理屈たれて ……… 私が恥をかくのは良いんですけどね。
最初はほんの「ついでに」の気持ち。『耳なし芳一』と対比させて、サービスのつもり。しかし、「ついでに賢治」なんて、「ついでに本気」と言う事でありまして、
めりめり のめり込む 事に成りぬ
で、宮沢賢治、ますむらひろし先生のファンの方々には、まことに申し訳ありません。あなたがたの寛容さに、私は甘えました。
28日、上のちょとしたテニヲハを変える。
いつの間にか一日。今からアップしに行く。
あけまして、おめでとうございます。本年も、どうかよろしく。
校正日誌 補足
下の日にち一部間違えを訂正。
本文を少しだけ直す。(同人の五爻)
賢治の『猫』、多少の校正をする
明日は、運命を取り繕いに行きます。
校正日誌 20061112
4日、HELP!平仮名歌詞、アップ。東北の天才を賞賛。
5日、偶然!『国家の品格』を読む。正確には、前から読んでました。けど、茫漠として忙しく、ちょうど天才の出身地に関する前で(あれほど一気に読ませる文章を、わざわざ)一週間ほど中断しており、まさにその個所から読み始めたのです。
「面白いことに、天才は人口に比例してあちこちから出現しているわけではありません。一定の国、一定の地域からしかうまれていない。」 出 として、
インドのクンバコナムの半径30kmの地域から、近代以降だけでノーベル賞受賞者二人を含む三人の天才が生まれている事、等々を例にあげ、
「その土地に存在する美が、天才と深い関係にあるのは間違いないと思います。」! 出
昨日書いたものと、まるっきり同じ内容!
何てこと。実は、私には非常にしばしば、こう言う事がありましたが、これほど劇的なのは初めてです。
今までは、「霊感の一種だろう。」くらいに思って、少々得意に考えていました。
しかし、今回に限っては、「それは違う」と言わざるを得ない。
「俺、後ろ向きに本読んでないか?」と言う訳です。
本は「お仲間」を捜すために、読むものではありません。「自分と同じ考えの人がいるんだ。」と言う事を確認するために、読むものではありません。それは、六百万超の、『国家の品位』の読者が、証言してくれている。
それも大切な事でしょうが、せいぜい半分です。本は、自分の知らない事を知るために、読むものです。それを蓄積し、自分のものを作るために読むものです。これが半分で、それが全部です。
6日、私はもたもたしていたために、運命の歯車が狂ってしまった事に、気付いた。
痛恨 ………
それが、4日にアップした事を12日に報告する理由であり、それをここに書くのは、「同じような本の読み方している人は、案外多いんじゃないか」と思うからです。これは絶対に、自慢に成らない。
校正日誌 2006.0606
06年06月06日か。ちょっと、縁起悪かったかな? 昨日から、有料にして宣伝が消えました。
自分は「そう言う事にはこだわらない」と思っていましたが、いや、気持ちのいいものですね。
06-05-19 エッセイ『天風こう五爻の謎』から、『ハウルの動く城』の部分を加筆して独立させる。
校正日誌 2006.0518
エッセイ『君子豹変』大幅書き直しをアップ。 能書き
校正日誌 2006.0128
0108日に、V06'01/08版と書き換えていました。これは、天風こう五爻を判断から書き換えたし、今までちょこちょこと書き換えていたので、ついでに、です。
あれをアップした翌朝、目を覚ましてすぐに、
「なぜ『ロミオとジュリエット』を思い出さなかったのだろう。」と不思議の感に打たれました。
『ロミオとジュリエット』こそは、『駆け落ち文学』の白眉であるのに ………
ちゃんと隕ちて両家の怨恨関係を解消しているじゃないですか。
「待てよ、『曽根崎心中』と言うのもあるぞ。」
『駆け落ちの卦』を考えていたのに、なぜ思い出せなかったのだろう?
ああ言った古典的な作品は、ほとんど全部、個人の意識に還元できます。
しかし、あんまり大変なテーマなので、数行に留めて置き、今日、書き直しをアップ。
我ながら、まとまりのない文章 ……… 寄り道しすぎ。しかし、すっきりさせたら伝わらないと思います。ごめんなさい。
(パソコンは、クリーンインストールのおかげで、すっきりしております。辛かった ………)
この調子で、巽為風五爻もやりたいものですね。あれこそ謎ですが、死ぬまでに是非、やりたいものです。「これは、」と思う解釈を知っている方、どうか教えてくださいっ。《合掌》
校正日誌 2006.0108
この校正日誌を日記形式にして、新しいものを上にしました。
私にとって謎だった、『天風こう五爻の謎』、どうやら解けたような。
あれは本田先生と立野先生の意見が食い違う所で、私も文全体の雰囲気から、吉と判断していましたが、「天から隕(お)ちる」の『隕』と言う字は、良い意味ではないのです。「落ちる 失う たおす とりこにする」などの意味です。ここに長い間、引っかかっていた。
そしてこのお二人の意見が食い違う時、「食い違っているように見えるだけ。どちらも正解」と言う事が多いと思います。
こう言う時は、実占でデーターを取ります。しかし、この爻を出した記憶はありませんでした。出していても、理解出来なければ、記憶に残らないのですね。先年11月、出たっ。「これをきっかけに、やっちまおう。」と言う訳で、丸々二ヶ月かかりました。他に何にも、出来ませんでしたわ。
私の脳は古いSFのコンピューターのような所があり、「円周率を計算せよ。」と言われたら、それにかかり切りになるのです。
あ・れ・は、難しかった。あれで、宜しいでしょうか?
明日から『天風こう』から開放されると思ったら、シアワセです。
校正日誌 2005.0912
エクスプローラの 表示→ 文字サイズ→ 中 にすると、注釈がとてつもなく見づらい事に気付く。ひえぇ、これはひどい。
ネット上で、「なんでこんな小さな文字を使うんだろう?」と言うサイトにたまに巡り合いますが、あれは文字サイズをタグで指定した場合、見る側のパソコンの設定で、作り手の予想外の表示をされてしまうのでしょう。要注意です。知らなかった ……… おじさんはなるべく目をモニタから離そうと、文字サイズは大で設定していたのです。だから、気付かなかった ……… バックの色も気にしていたので、全部やりかえる。
また、『時間の質?』で、前から気になっていたルービックキューブの販売年を調べ、日本では1980年 二黒土星の年、発明年を1978年と補足。
校正日誌 2005.0810
『君子豹変 再考』に、昨日から多少の加筆。「どうしたらエラく成っても、バカに成らずにすむか?」難問ですね。なかなか出来ん事です。
『早川徳次 小伝』に、「早川徳治ではありません。念のため」と書き加える。案外、企業の紹介文でも、間違っている所が多い。まあ、ケアレスミスですけど、多少、失礼かな? しかし、実際に徳を治めましたからねえ。これはまあ、間違えても仕方がない感じもします。
また、「関東大震災ですべての」を、「ほとんどすべての」と、書きかえる。厳密は、ヨシ。
また、上の校正日誌の0523は、0623の間違いなのに、いま気付き、訂正する。トホホ ………
校正日誌 2005.0701
ショウペンハウエルに似た人1の「ゲーテ」の評、書きかえる。ワイマール戦争ではなく、ライン旅行? あれは、悔しい。残念だ。申し訳ない。
これから、一級資料しか使うまい。全部、自分で確認しよう。
色彩論でまた、面白いのを書きますので、どうかご勘弁ください。
校正日誌 2005.0623
『早川徳次小伝』の中の「母性と父性」に補足。
『ショウペンハウエルに似た人1』の「フロイト」、《お詫び》の挿入によってあんまり読みにくいので、書き換える。
校正日誌補足
この『校正日誌』を、一枚ではなく、テーマごとに分ける。これがなかなか手間で、最初からこうしておけば良かったと、後悔しきり。結局これは、5月29日にアップする事に成った。
校正日誌 2005.0426
ショウペンハウエルに似た人01をアップ(リンクはその能書きです。)
校正日誌 2005.0224
申し訳ない! 長い間、天候占をしてなかったので、本来の占い方を忘れていました。ここ数年、足場が気になる状況でばかり天候占をしていたのです。まあ、だいたい皆さんもご存知と思いますが、『彼我の占』の終わりの方に、アップしておきました。
校正日誌 2004.1209
最近ずっと筆名を裏切って、酒を飲んでおりません。(医者に止められたなどの、立派な理由ではありません。)そのせいか偶然、『君子豹変 再考』に単語の重複があるのを見つけ、ついでに書き加えてしまう。
ああいう短い文章は、突けばつつくほど、まずくなって行くものです。けどまー、別にうまく書かんでもヨイと。ヘタクソはていねいに書くべし。
校正日誌 2004.1118
トップページの左の柱に、『彼我の占』と『卦形の占』を加える。
これは、校正日誌04.0131の最後で『易の基礎』として出すと公約していたもの。
しかし易の基礎は多くの人が立派にアップしておられますので、読み手にとっては重複に成ってしまう。上の二本で『易の基礎』に代えようと思います。
加えて、『八卦の覚え方』の『沢』をちょっとだけ書き加える。私は「沢=悦び」と定型的に使いがちに成っていましたが、こう言う『定型的な判断』は易でも夢の分析でも大凶! 沢には「なやみ」の意味もあります。これを『情』で統合しました。
八卦に関しては、また独自の面白いのを補追したいと思っておりますので、期待せずにお待ちください。
校正日誌 2004.0831
『早川徳次 小伝』を書き直す。注釈でたたんで読みやすくする。
加えて『母性と父性の定義』を書き加える。あれが書けなかったので、『小伝』は、放っとらかしだった。
エッセイ『山頭火と箱庭療法』アップ。これはおそらく、日本中で数人も読んでいないもの。しかし、最低一人は読んでいる。と言うのも、Googleで検索した時の紹介文は、一通り読んでいないと書けない。あの長い文章を! 驚きました。Google様、あなたが唯一の読者様でありますっ、《合掌》
校正日誌 2004.0529 エッセイ「『君子豹変』とはどんな意味か」をアップ。これは一週間近く、ネチネチ校正を繰り返す。何故なら、書き終わった時には「これでよし。」と思うからでありました。その後、『小泉メルマガ』を読んで、6月22日に文章の構造を変える。
校正日誌 2004.0521
『早川徳次 小伝』の一部を切り取り、書き足して注釈に独立させる。
あれは、おもしろい。読んでけれ。(←「時間の質? 日本人のマネと独創」の事。)
校正日誌 2004.0430
YahooやGoogleで検索できるようになる。感謝!
いつの間にか黄 小娥先生の『易入門』の再販がかかっている。
校正日誌 2004.01.31
一通りの校正が終わる。冒頭にV04'01/31版と書き添える。
校正日誌 2004.01.07
本文を一応ぜんぶ訳す。最後の一爻を終えた時、自分が『駄酒 煽』と名乗った訳が、やっと判った。
校正日誌 2003.12.14 22:44
思う所あって、HPを2スタイルに引越しする。
校正日誌 2003.1119
著作権に関わる『参考にした本』や、その他の文章をアップする。
校正暦 2003.11.07の深夜から、翌日の8日未明にかけて、アップ。
校正歴 2003.夏の暑い頃。作り始める。