『ショウペンハウエルに似た人01』アップ
6日、何気なく河合隼雄先生の『猫だましい』(新潮文庫)を買ってくる。
おもしろいっ! 巻末に大島弓子先生の『感想マンガ』まで載っていて、サービス満点!
先に大島先生の『綿の国星』の解説から読んでしまう。……… 驚愕。
大島先生のファンで、河合隼雄を読むのは初めて、と言う人が読むと、衝撃を受けると思います。
私が『綿の国星』を「読まされたのは」二十歳前後でした。
「このチビ猫ね、自分のこと人間だと思ってるのっ。だから、人間の姿に描いてあるのよっ。」
そう説明を受けて、「何をコーフンしとるんだろう?」と思いながら、私は作品自体が面白かったので、「ふん ふん。」と、生返事をしていましたが、あぁ、あれは、自分の事を語っていたのかと ……… 二人ともそれに気付かなかったのでした。
この事は、私が『ショウペンハウアーに似た人』と言う文章を書いた事を、思い出させました。ここに、日本の古典的な二つのアニメの分析を載せておいたのです。
「ん? なんでショウペンハウアー?」
と、お思いでしょうが、ショウペンハウアー哲学と易経は、なかなかに合い通じる所があるのです。数多くの古典的な体系の中で、一点、ただショウペンハウエルと易経だけが、語っている事があるのです。
この文章は内容的に別のサイトに載せようと思っていましたが、も、もう、たまらんっ。触発されてしまった。抜粋して出しますっ。