時間の質? (日本人のマネと独創)
もっともそう単純なものではなく、たとえば渡部昇一先生の『昭和史』などを読めば、積分の概念が、ほぼ同時期に日本でも発見されていたと言う事で、これは神秘的な共時性か? 日本は欧米と歩みを同じくしていた傾向も強い。情報流通がさかんで互いを刺激しあった欧米が、まさに『先に出し続けた』と言う面も、あるかも知れません。
神秘家の方々は良く、
『時間の質』とか、
『星からのバイブレーション』
とか、言いますね。「何となく納得」ですが、本当にはそれがどんなものか、知りたいものです。
ひとつ経験を示しましょう。高校時代の友達から勧められた佐々木皓有(こうゆう)先生の『暗剣殺入門』を読んでいた時の事です。
この本は、今で言う風水のハシリのような本。九星の象意を中心に述べた本でした。その本によれば ………
「二黒土星の年には、『小さくて四角いもの』が流行する。角砂糖も、二黒土星の年に発明された。」
私は衝撃を受けました。その年は二黒土星で、本を読んでいる私の机の上には、おおっ、まさに、
『ルービック キューブ!』
あの、一面を九つに分けて、色を合わせるパズル玩具、ルービック キューブも、あの時、1980年 二黒土星の年に大流行をしたのです。
(今ネットで検索すると、発明されたのは1978年、日本等で販売され、爆発的にヒットしたのが1980年と言う事です。)
『イメージとは何か?』と言うのも、私がまだ捕らえ切れていないものなのですが、同じ『小さな四角いもの』でも、角砂糖とルービック キューブでは、かなり違ったものです。時代精神とでも言うのでしょうか? 面積の概念でも、円周率と積分では、レベルが違いますね。
神秘家たちの言う『同じ時間の質』に飛び込んで、同じイメージに興味を持っても、同じ段階にいなければ、同じ発想は出来ません。
「なぜ日本人だけが?」
と言う、繰り返される質問の答えの一つは、やはり日本人が『世界で唯一の女性的民族』。つまり、自分の心から湧き上がってくるものに、非常に鋭敏だったからではないか? と思います。
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