山頭火と箱庭療法
週刊モーニング紙上に『まっすぐな道でさみしい』(いわしげ孝 作)と言う、山頭火の伝記的作品が連載され始めた。ちょうどそのころ私は、400近い句を連続して作ると言う作業を始めていた。(ただし文学的なものではなく、実用的なものである。)
で、影響されるというか、山頭火が気に成ってしかたがない。
私の山頭火に対する『評価』は、非っ常ーに寒いものであった。
「こんなもん、ただ感じるものを、ありきたりの表現で並べただけじゃないか。」
と言う訳である。ごくたまに、「はっ」とさせられるものがある。しかし、このくらい、何だ ……… どこかの本で、数句読んで放り出し、そう思った。
次に私の記憶に登場する山頭火は、テレビの画面からであった。
これは山頭火の伝記的番組だった。女房の咲野役を演ずるは、桃井かおり。
その時には、「桃井かおり」がどんな女優だかも、まったく知らず、「おもしろい、お姉ちゃんだなあ。」と言う印象。
私は何かの作業をしていて、たまにテレビの前を行き来するだけだったが、あまりの面白さにしばし、テレビの前に立ちすくんだ。
桃井かおりは、大女優である。豪華キャストだ。もしかしたら、映画だったのかも知れない。
兄Bはテレビを見ながら、「おもしれえ、おもしれえ。」と言って、酒を飲み始めた。私も一緒にへらへら笑っていた。
そして偶然、番組の最後の数分に、私は立ち会った。
「もり………」で始まる、(その番組では)『辞世の句』とされた句を、妻、咲野の前で禅僧が高らかに詠み上げるのを聞いて、これは私の心に残った。
(この句が辞世の句かは、異説あり。しかし、人は死の数日前、数ヶ月前、あるいは、ごく若い頃、その道に踏み出した最初に、自分の人生を広く見渡して、その結論とも言えるような事を、ふと言ったり書いたりする。特に『最期の句だから辞世の句』とも言えない。また、伝記的な作品を書く作者は、あるていど自分で『作る』事を許される。自分の人物観を、語る事が許されるのである。だからこの句は私にとって、山頭火の辞世の句となった。)
世の中には、もっといい句、質の高い句は、いくらもあるだろう。しかし、私が一度聞いただけで一生忘れられなくなった句は今まで、『お詫びと言い訳』で紹介したあのパンダさんと、私が過小評価していた山頭火のこの句の、二つだけであった。
兄Bは、番組が終わった後も、「おもしろかった。おもしろかった。」と言って飲み続け、「このまま 寝てしまうだろう 布団に寝る」と言う、その日の辞世の句を詠んで、寝てしまった。
そして次に山頭火の事を思い出したのは、購読している『週刊モーニング』誌上に『まっすぐな道で さみしい』が連載され始めた時だった。これはどうやら山頭火の、伝記的漫画のようだ。同僚氏が「これ、おもしろく成るかなあ?」と聞いた時、私は断言した。
「絶対に、おもしろい! 実際に生きている人間は、作家が想像する事も出来ないような馬鹿な事を、平気で本当にやるっ。」
たとえば、「怪我ばかりしている小兵力士が、無敵の大横綱になるお話。」など書いたら、子供でも読まないだろう。ところが実際に生きている人間は、そう言う事を本当にしてしまう。
また、芥川は晩年、「いかなる偉大な小説家も、伝記作家に及ばない。」と言うような意味の事を、断定的に繰り返し語っている。これは、
「どれほど
と言う意味だろう。これはまったく、その通りだろうと思う。(もしそんな事が出来たら。)
それまで山頭火には、あまりピンと来なかった。ただ、二三の句が心に残っていた。そして私のような俗物には、山頭火の句よりもその人生に、つい目が行ってしまう。
(まあ、『句と人生を、分けて考える』と言うのも多分、
たとえば本文の、坎の4-2で使った、
「何もかも雑炊としてあたたかく」
などは、もし私が作ったと言うなら、「ああ、おっさんが酒飲み過ぎて夜中に腹へらし、自分で雑炊つくったんだなあ。」としか読めないし、「こんなもん、川柳じゃねえのか。」と言われれば、それまでに成る。しかし、山頭火が作ったと聞けば、色々読み込んでしまう。実際、こちらが読み切れないほど、たくさんのものがあるのだろう。そうして、百年近く経ってもこうやって、古典の解説に使われたりしている。)
しかし、自分でも句を作りながら山頭火を読むと、
「これでいいのかっ。」
と、驚かされる事が、しばしばあった。
「まとめないままで、そのまま放ち、相手の心で響かせる………」
これは、参考になった。ムリにまとめる必要は、どこにもない。
受け取った者は、その句を自分の中で反響させて、おかげでそのままを受け取る事が出来る。むしろ、そこから始められる。
いや、そんな事はサルまねしか出来ないが、「ムリにまとめようとする必要はない。」という訓戒だけでも、私には貴重だった。
しかし山頭火は、どうしてあれほど自由律にこだわったのだろうか?
というのも、私が句を作ると、自然に七五調に成ってしまうのである。五・七と来ると、脳が自然に五音の単語を検索する。意識から見ると、心の中から五音の言葉が湧き上がってくるように見える。普通、誰だってそうではないか?
更に時おなじくして、同誌に『サイコ・ドクター 櫂恭介』(亜 直樹 作・オキモト シュウ 画 03年11/06 No.47号)が掲載され、『箱庭療法』が紹介された。
箱庭療法とは、かの河合隼雄先生が海外で見つけ、「これは、日本人に非常に適した療法ではないだろうか?」と紹介してくださり、果たして広く普及した方法である。
浅く広い箱に細かい砂を敷き、被験者はその上に模型や人形を配置してゆく。その砂で山を作ってもいいし、箱の底には水色が塗られているので、砂を掘ると池や海も表現できると言う代物だ。
少し前(03年)にネットで検索した事があるのだが、少なからぬ人がアップしておられ、それぞれに興味深かった。 今や、更に充実している事だろう。
そしてこの『サイコドクター』に、「母親が自殺した少年の箱庭」が紹介された。
そう、山頭火も少年期にご母堂が井戸に投身され、それが大きなトラウマと成り、これは彼の人生にも作品にも、無関係ではなかった。
おそらく生来のものだった激しい孤独と葛藤は、これで完全に目を醒まし、彼は句作にすがらざるを得なくなったのだと思う。と言うのも、内側のものを表現する ……… 投影できる形にして、自分の外に出す事が出来たら ……… しばらくの間、それから開放されるからだ。
さて、その少年の箱庭には、秩序がなかった。いや、秩序だけがあったのかも知れない。
二つ並んだ家の横には二台のロボット、二体の羽の生えた悪魔の人形。
二台の車の横には二体の恐竜。
その横に小さな植え込みと、一匹の甲虫。
その手前に一匹のオスの甲虫と、三匹のメスの甲虫。
遅れて二匹のメスの甲虫と二匹並んだムカデ。
……… 甲虫が多い。これは救いか? ユンギアンにはご存知の通り、甲虫は交感神経系(子供の場合には特に、『内側から突き上げる成長しようとする力』)を表す。
ジョン レノンが、「ビートルズ以外のグループ名を採用するなら、俺は降りる。」と言ったという伝説が、思い出される。
また、手塚治虫が少年時代、百科事典的な昆虫図鑑を自作し、本名『手塚治』に『虫』の一字を補追し、ペンネームとした事も、思い出される。また、手塚の直弟子とも言える石ノ森章太郎の創った、昆虫を模したヒーロー『仮面ライダー』は、少年達の心を強く捉えなかったろうか? いや、石ノ森先生が少年の心に戻った時、昆虫の姿をした超人が、自然に産まれのではないだろうか?
私はこれらを、偶然とは思わないのである。………
三台の戦車の前には二匹の亀。
一体でいるのは、漫画の絵からは中央に見える「羽の生えた妖精」だが、これが被験者かな? と思うが、少し離れたそばに、和式の男性と洋式の女性の人形を立たせているので、両親と自分かも知れない。しかし、いかにも脈絡がない。両親は、西洋と東洋で対立しているのか?
ところがこれらは、内容的には秩序がないが、すべて整然とした幾何学的な配置に構成されている。
そして繰り返される、『2と3のテーマ』。
少年は、「一日中手を洗い続けている」と紹介されていた。
(これらの事については
『個性化とマンダラ』みすず書房 C.G.ユング著 林 道義 訳
などをお読みください。この本はユングを始めて読む人でも、相当おもしろく読めると思います。特に絵に興味のある人には、新鮮な本かも知れません。)
眺めていて、この箱庭は、作家が適当に想像したのではないと、私は確信した。おそらく本当に、母親が自殺した少年の箱庭だろうと思った。
一方は、詩に形式的な秩序を与えなかった詩人。
一方は、形式的な秩序だけあって、内容に脈絡がない箱庭。
これも共時性だろうか? 私にとってこの箱庭は、山頭火の声を聞くカギと成った。
世の中には、母親の顔を見た事のない人々は、たくさんいる。
しかし彼らはどちらかと言うと、「人間的に深みを持った人々」であって、中には真に明るい希望を周囲に与える人もいる。そしてそういった人に「母親がいなかったのだ。」と聞けば、かえって我々は「なるほど。」と、納得する。
しかし、母親とは、子供に何を与える存在なのだろう?
反対に言えば我々は、母親から何を受け取ったのだろうか?
詩を、文章をまとめるとは、どう言う事なのだろうか?
私には、山頭火が詩に形式的な秩序を与える事に、強い抑圧意識を持っていたように思えたのである。何故だ……… 自分の身に起こった事を、呑み込めないのか? ……… 認めたくないのか? ………
気になる……… 実に三年ぶりに、『青空文庫』に行ってみる。(別ウインドで立ち上がります。)
これは、著作権の切れた文学作品を、そのファンの方々が手分けして入力し、多くの人々にタダで読めるようにしてくれているサイトです。しかし、著作権はなくなっている訳ではなく、話し合いによって掲載されている場合もありますので、引用等される時にはご注意ください。)
すると ……… 充実している! 漱石、芥川、太宰がほぼ全部、打ち込まれているのには、驚いた。私の聞いた事のない作品も多い。手間の問題ではない。やっぱり、良い作品には、ファンが多いんだ ………
山頭火 ……… あった! 句集がそのままアップされている ……… これは、ありがたい ………
ダウンロードしたものを読みながら、五七五に形式的にまとまった句を、起動したテキスト文書にコピー&ペーストで、片っ端から貼り付けて行く。後で通して読んで、「形式的にまとまった句の共通点」を考える訳である。
作業をしながら、
「こりゃあ、最近の学生さんはラクしてるなあ。」
と思う。しかしこれは、基本的には同じ労力。私の時にも、
「昔はコピー機などなかったのに。」と言われたものだが、どうせ読まなきゃならない。同じ事である。
そして、コピーしなかった箇所に、あるいはこの場合、形式的にまとまっていない句の中に、決定的なヒントがあると言う危険は、常にある。両刃の刃だ。
しかしかつて私は、「あれは、聖書のどこに書かれていたっけ。」と思って、寝る前に必ず聖書を読むと言う、牧師さんにほめられそうな生活を実に半年! 続け、新約聖書を二度! 連続して読み返した事がある。しかしどうしても見つからない! あきらめてから数年後、偶然その箇所が実は、旧約聖書に書かれていた事が判明したのであった! 「くっそーっ!」 絶叫である。
あの悔しさは、一生忘れられるものではない。しかし、電子化された文章なら、新 旧約聖書の全編を、ほんの十数秒もかからずに、見落としなく、完全に検索する事が出来る。やはり、少しずつ、便利に成って来ている。
ではその恩恵に、ぜひ
作業をしながら考える。「自然と相対した句が、多いのかな? 日常の些細な情感を詠んだ句は、五七五にまとめている事が多いようだ。しかし ………」
そう単純なものではない。当たり前だ。評価はまちまちとは言え、後世に名を残すような詩人が、そんなシンプルなおつむをしている訳がない ………
一応の傾向を述べておくと、やはり上で述べた通り、個人的な感慨を超えたテーマ、自然や季節の中での、いつも誰にも変わらぬ感慨を述べた句が多いように感じた。だが、そうとも限らない。例外も多い。特に、その逆が目立った。
これを結論とするには、勢い込んで出掛けた割には、収穫が少なすぎる。
「お前は最初から想定していた結論のための材料を捜しただけではなかったのか?」と言われても、仕方がない。
そこで言語連想法の技術を導入。「何を見て、どう思うか」で、むかし私がやったのに、『しりとり』がある。相手としりとりをして、それを記録していく。羅列された単語からは、複数の概念が浮かび上がってくる。ある女性などは、すべて食べ物の名前で答えた。例えばこちらが「時計」と言えば「いわし」と答え、「鹿」と言えば「カレー」と言った具合だ。そして最後に「冷蔵庫」と言った切り、ギブアップしてしまった! 彼女は、徹底して「食物の供給者」だったのだ!
問題を課せられた者は、心の中から物語を
何かを創作すると言うのは、そのまま『能動的思考法』だ。
これを反対からする。つまり、創作されたものの単語や概念を利用して、作家の方向性を模索する訳である。強い感情を伴ったコンプレックス(観念群)を複数見つけられたら、これさいわいである。
「め、めんどくさーっ」
自ら、発狂しそうである。なんで、こんな事をせんとイカンのだろう?
一つは、読む人に説得力を与えるため。
そしてもう一つには、「自分の偏見を正すため。」である。
我々は、色眼鏡をかけて、文学作品を見がちだ。本当に偏見なしですべてを見渡せるのは、天才だけだ。そして天才がどうしてそう言う事が出来るかと言えば、一つの作品を読んだ瞬間、その分野のすべてを把握し、大筋の体系の部分として、その作品を位置づける事が出来るからだ。これを凡人の側から見れば、彼は学ぶ前からすべてを知っているように見える。
しかし、これを天才の側から言わせれば、「その作品を、そのまま見ればいい。」と言う事に成る。(出来ませんわ、普通。)
そしてその『分析』の結果は、私にとって非常に意外なものであった。
私は、山頭火は、乙に構えて斜めに俳句をした者と思っていた。
答えは、正反対であった。
山頭火は、俳句と言う芸術分野の正道を、固守していた。
正面から、立ち向かい、受け止めて、さらに歩いていた。
これには、意外だった。
自分が、それほど酷い色眼鏡で山頭火を見ていたとは、さすがにちょっと、認めたくなかった。
しかし山頭火は明らかに、『正統派の俳人』だったのである。
(この結論に至るための作業は長かったので、別ファイルにしておきます。(参考文)別ウインドで立ち上がります。)
意外な収穫だったが、
『山頭火は何故あれほど自由律にこだわったのか?』
と言う本来の問題は、
04'02/22放映のNHK『人間ドキュメント』<けさ江ばあちゃん 90歳の書画>である。
千葉県に住む齊藤けさ江さんは、もう、ひらがなも思い出せない事があるくらいの老人。しかし、その書は、プロの書家の先生が、思わず指導にいらっしゃるほどの、不思議な味のあるものを書く。
番組の前半は見ていないが、紆余曲折の人生。そして、ひとり。(あるいは、すべて?)
私はその書の題材、つまり文章(?)に、強い衝撃を受けた。
つちから ありんぼ
!!! すごいっ。 まるで、山頭火ではないかっ !!? こんなものを不思議な文字で書かれた日には、そりゃ放っとけない。その他は、
「もろこし」 「かぶとむし」 「かみさま」 「たのしい」
など、ほとんどは一つのコトバを書く。(一つのコトバは、文学芸術とは言えないが、書なら、これを芸術に仕立て上げる事が出来る。しかしこれらのコトバはまったく、箱庭や静物画、絵手紙に登場しそうなものばかりではないか?)
私は、幼稚園のころ習っていたお習字の先生が、やはり老人で、「あおぞら」とか「うみ」などと子供が書いた文字を、長い間しげしげ眺めていたのを思い出した。あれは、そういう事だったのか………
老人と幼児。ショウペンハウアーが「自然の同盟」と呼んだこの両者は、意識が成立する前、ものごとが秩序づけられる前の世界と、ごく親しい場所にいる。
けさ江ばあちゃんも、きっと、山頭火と同じほど、歩いたに違いない。
あそこまで行くには、やはり、それだけ歩かなければ、ならないのだろう。
兄Aが結婚する前、「もうアホな事に、金を使えなくなるから。」と言って、最後に買ったのは、『ウェーベルン全集』であった。
二十年以上前に5分間だけ聞いた音楽を、ひらがなで表現するのは難しいが、あえてやると次のように成る。
「みゅううん ひょろひょろひょろ しずしずしず がしゃああん。」
「くわっ、なんじゃっ、これはっ。これが音楽かっ。」
「本当にアホな事に、金を使ったなっ。」
兄Aは家族から非難された。私は「クモ退治の曲」と命名した。
「この中にはバッハもベートーベンもモーツァルトも、全部いるねんからっ。」兄Aはそう力説した。
そう。兄Aは歌謡曲・グループサウンズから音楽に熱狂し、ビートルズで深みにはまり、→ バッハ・ベートーベン・バロックなどの著名な作曲家→ ジャズその他 と聞き込んで行き、ついにモーツァルトをぜんぶ聞き飽きてしまい、何にも聞くものがなくなってしまったのであった。先年も入院した時、「何を聞いても、心が動かなくなって久しい。」と愚痴ていた。(むさぼるからだよ。)
確かによく知っており、作曲も多少し、しばらくその辺で食っていた事もある。たいしたものだ。ほめてつかわす。しかし私は、心情的に認めたくなかった。
「それは芸術の材料であって、芸術ではない。」と。
よく「想念」と訳されるプラトンのイデア、言わば『本質』。これを表現したものが、芸術である。だから芸術と言うものはすべて、一つのものだと言う『芸術一元論』。これは確かに、そうだと思う。
しかし私が小学生の頃、(と言うと70年代の前半までだが、)妙に前衛芸術が盛んになった事があり、酷いものは丸や四角、三角をただ書いて、「これが芸術だ。」と言った具合だった。展覧会に連れて行かれた時、大きなキャンバスを黒一色に塗り、「闇夜のカラス」とか、そういう題名をつけ、堂々と飾っていた事もあった。あれらの作品群に対しては、今なお反感を持っている。不誠実だ。働かずに食おうとする、ヤクザな考えだ。
私は漱石の『硝子戸の中』から、「じゃ小説を作れば、自然柔道も
「材料をどう調理するかが、お料理である。」私はそう主張した。
(感動したものを)表現(する事)こそが、芸術ではないか? みんなそのために、苦労してるんじゃないか。
ただ、○○を見て、感動しました。
などと言われても。困る。海を見て感動したなら、「ひねもす のたり のたり」とか、「岩をも削る牙」とか、何か言ってくれ。
しかし、表現にも色々ある。
「刺身は料理と呼ぶには単純すぎる。」と言う人もあるそうだが、たとえ刺身でも、ちゃんと切っているし、切るだけなら少しでも新鮮な素材を探し、付け合せを工夫し、素材によって切り方を工夫する。1cmに切るのと2mmに切るのとでは、大きな差がある。食べる方も、「この素材をこう切っているから、わさびとおしょうゆは、このくらい。」などと、かえって神経を使う。そして、おいしい。
しばしば、煮るよりも焼くよりもおいしく、「この素材は、刺身でなくてはならない。」と言う場合さえある。
本当の前衛芸術は、これと似ているのかも知れない。
(そして兄Aが、結婚後もアホな事に金を使い続けたのは、言うまでもない。 )
自由律俳句は、前衛芸術 ……… この当たり前の事に、私は気付いていなかった。
そして前衛芸術は、一通りの表現が出つくした後、その放棄と言う形で現われて人目を引くが、そんなに奇異なものを表現している訳ではない。むしろ、「ひとめぐりして、もとの場所」と言った感が強い。その芸術分野が、最初の一歩を踏み出す前の世界を、そのまま表現する。
そう考えると、山頭火と少年の箱庭の間には、一応の脈絡があるようだ。
我々が成人して人生を進んで行けるのも、自分の中に心の足場、母性と父性を持っているおかげである。
これを失うと、理屈ではなく、前に進めなくなると言う気は、する。
どれほど力強い足腰も、蹴る大地がなければ、無意味である。
これが多感な少年少女時代、あるいはもっと早い時期に突然に母親を喪失したら、しかも自殺と言う、一種の自由意志で、自分の前から消えられたら、目は意識の足許に向かざるを得ないだろう。
足は大地を求めて、踏み歩くだろう。
山頭火は、句をまとめる事に、抑圧意識があった訳ではなかった。
意識の足元に、自然と目が向かっただけだった。
だから彼の主な関心は、句が形をなす寸前の世界であった。
そう考えると、すべてが無理なく理解できる。
しかし山頭火の句も人生も、出生の事情に強制されたものではないと思う。
そう産まれてきた者が、そう歩かなければ成らない、自分の人生だったと思う。
ただ、周囲の状況に振り回されるだけの、愚かな人間など、この世にいるものか。
ましてや相手は、山頭火である。
自分の知らない間に、何かへと方向付けがなされた。気が付けば、周囲は闇だ。そこからが、個性である。
「それならば、自分を燃やして、光と成ってやろう。」急にこのセリフが、頭に浮かぶ。これは私の勝手な飛躍だが、何かあるように感じる。
青空文庫にアップされている句集、『草木塔』の冒頭にある、
若うして死をいそぎたまへる
母上の霊前に
本書を供へまつる
と言う一文は、「おかあさん、こうして一歩一句、私はちゃんと生きておりますよ。」という報告と、聞くべきかも知れない。……… そう思うとちょっと、泣けてくる。
さて、少年の箱庭だが、まさに昨日、偶然おもしろい写真を見た。水木しげる先生の、仕事部屋である。
妖怪のお面やフィギア人形が大量にあるのだが、立体的な棚などに実に整然と配置されており、すべては意識の制御下にある。
言わば元型的な意識の根源に棲む、マグマのような力を持った妖怪たちが、意識の営みと矛盾なく整然と ……… いや、彼らは意識の制御下に、犬のようにあるのではない。意識に精彩を与え、活力の根源として、意識のすぐ内側に、脈々とある。
仏像の仏さまが、象や牛、龍にまたがっているのは、そう言う意味だと習った事がある ………
「少年の、箱庭に似ている ………」そう思った。
私は「母親が自殺した少年の箱庭」と言う事で、最初から悪いものとして決めつけていたようだ。しかし、生きて歩いている人間は、必ず何かのバランスを取っているのだから、悪いだけなどと言う事が、あるはずはなかったのだ。
水木先生と言えば、日本で一番、たくましい人ではなかろうか?
その水木先生の仕事部屋に似た箱庭を作るとは、また甲虫を多く配置するとは、何とも頼もしい限りではないか? ………
そこから出て来たものには、つい目を奪われる。
哀れなのは、それに気づかなかった、私の方であった。
山頭火の人生も、少年の箱庭も、ただ暗く、哀しいだけのものではなかった。
いや、彼らの苦悩、絶望、孤独に目をつむっては、いけない。(参考文)の中ほどで示した通りの、凄まじい苦悩を無視して、ただ「美しい」などと言っておれば全部、まったくのウソに成ってしまう。
しかし彼らの句も箱庭も、致命的な打撃を受けた生命が、それを跳ね返すための、力をたたえていた。
その証拠に、何かの拍子に夏の空を見上げて、「むかし本当に、あそこまで歩いた詩人がいたんだ。」と思う時、胸の中にはただ、澄んだ爽やかさだけがある。
もしそうなら、山頭火が漫画と言うメディアの中で、また歩き始めたのも、我々の代表として、どこまでも歩く事を、今の時代に求められたからかも知れない。
私の中の、いや、誰の胸の中にもある、山頭火と言う名の狂おしい孤独と絶望よ。周囲が白んできて、青く澄む所まで、一緒に歩いて行こう。
考えてみれば、お前がいなければ、誰も何をも、求めやしない。我々の望むものはただ一つ。それは空の上に登ったお前の事を、みんなが呼ぶ、もう一つの名前。
『歓喜!』
「もりもり もりあがる 雲へ歩む」……… と。
04-04/08
漫画も、この句でキメてくれましたね。感謝です!
ところで、山頭火のHPでお勧めなのは、←これです。別ウインドで立ち上がります。
このHPの素晴らしいところは、紹介する句のいちいちに、運営者ご自身の画を掲載してくれている事です。楽しい! つい、保存してしまうような画もありますよ。
また、尾崎放哉のサイトも、運営しておられます。
04-07-09 Up
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