山頭火と箱庭療法のアップ

   校正日誌 2004.0709
 いやー昨日、週刊モーニング誌上で連載されていた『まっすぐな道で さみしい』、終わりましたですねえ。これは、山頭火の伝記的漫画でした。
 やっぱり最後は、あの句で締めてくれたか! 嬉しいな!
 ちょうどあれが始まった頃、私はこれを作り始め、山頭火が気に成ってしょうがない。もう、一種の共時性みたいなモンでした。
 伝説の詩人もああして漫画にしてくれたら、実に身近に感じられて、たいへんに有り難く思います。
 いろいろ勉強に成りました。特に、『ムリに作らなくても良い。』と言う事だけでも、まったく教えられました。私が、
 「どう作ろうか?」と思っていたら山頭火は、
 「作るな。」
 「どうしようか?」と考え込んでいたら、
 「そのまんまだ。」と言ってくれました。

 実は、これをアップする前、一ヶ月くらいかかって『山頭火と箱庭療法』と言うのを、かなり苦労して書きました。「漫画のおかげで山頭火が流行だから、これでヒット数を稼いでやろう。」と言うモクロミです。
 また、文学層と心理学層を、易に引っ張っりたかった。彼らが易を理解するのは速やかで、自ら楽しんでくれるだろうし、そうしたら世の中も良くなると思ったのです。
 ところが、書き上がったものを見ると、実に「いやーな感じ」がする。
 何故だろう? 長すぎるからかな? と思い、ばさばさっと、三割くらい削除する。
 しかし、「いやな感じ」は、変わらない。占ってみる。非常に悪い卦が、三度連続して出る。いま『立卦』ソフトの記録を見ると、天水訟・山地剥・沢水困でした。
 何故だろう? 特に、マズイ事は書いてないのに ……… 
 と首を傾げながら、アップを断念する。
 まあ、山頭火で文章を書こうとした人には判るでしょうが、山頭火で文章は、書けません。(笑) 書きようがありません。ヘンに決めつけたり、妙にほめたりしてしまい、自分の山頭火へのちょっとした想いさえ、実にぎこちなく成ってしまう。
 これは、我々の中の山頭火を、我々がどう取り扱って良いか、解らずにいるからではないか? (酒のませて眠らせて置けば良いのですが ……… 飲めばかえって起き出すかも? ………)
 こう言うテーマは普通、最低数年間追い詰めて、煮詰めないと、少しでも味のあるものは書けない。句集だけ読んで、「片手間で一ヶ月」と言うのは、あんまりか? 少なくとも連載が終わるまでは、『保留』と言う事にしました。
 ところが、連載が終わってしまった。……… どうしよう?
 私なりのヒット数の解析から、どうやらエッセイは殆ど読まれていないようなので、安心して今日アップします。


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