もっと早く作れば良かったが、

   校正日誌 2004.01.31
 一通りの校正が終わる。冒頭にV04'01/31版と書き添える。
 実は去年の末頃から、急に道が開ける。状況が変わって、したい事が出来るような状況に成りました。占ってこの結果は出していましたが、まったく思いがけない事でした。「世の中が自分の都合の良いように変わる。」など、ありえない事と思っていましたが、たまにはこんな事もあるんですね。
 実はこれを作り始める前、占って、沢雷随の二爻を出していました。
   二重の望み 二兎は得ず
   卑近を捨てて 本命に
 とあります。しかし、『易経数え歌』は、卑近ではない。何より、自分がやりたかった。「今しなければ多分、一生しない。する機会もないだろう。」そう思っていましたし、実際にそうだったと思います。少々ムリしても、作って本当に良かったと思います。これを作った労力は、ただ私自身がこれから死ぬまでのしばらくの間、自分一人で使うだけでも、私にとって充分な価値があります。

 いま後悔しているのは、
 「何故もっと早く作り始めなかったんだろう?」
 と言う事だけです。もし十代に作り始めていたら、あれから二十年以上、実践による研鑚、校正を繰り返し、その蓄積で、自分の実力で出来うる限りのものを、かなり越えたものが、今ここにあったでしょう。これは、惜しかった。

 また、「ファウストを書く事がゲエテの仕事だった。」
 とは、確か『自伝』のユングの言葉だったと記憶していますが、ゲエテは50年かかって、『ファウスト』を書きました。人類トップクラスの天才が、たまに見かけた光るものを一粒々々、50年かかって集めて、『ファウスト』は出来ました。おかげでファウストの一行々々は、ぜんぶ結晶で出来ています。

 しかし私が今これを反対に、
 「ファウストは、ゲエテの深い心の結晶が、集まり流れと成ったもの。彼はそれに学んだ。杖とした。」
 そう言い替えても、大きな間違いではないと思います。それならば………
 十年の単位で自分の心と対話できる体系。それを私は二十年間、見過ごしてきた。怠惰のために、棒に振っていた。ゲエテと同じ体験をする奇跡を、目の前に逃した。これは百回や二百回、生まれ変わっても、ちょっと出来るものではない……… 痛恨でしたね。

 しかし、「よほど弓を矯めなければ、この矢は撃てなかった。」とも言えます。やはり、度量が足りなかったのでしょう。そんな事をしていたら、私はとうに死んでいたかも知れない。
 自分の内面と正面から向き合うと言うのは、すさまじい重労働でもあります。内界への探求が進むほどに、外界への自我発展の歩みは「びたっ」と止まってしまう事が多い。夢も一切、見なくなったりします。
本当は、両輪そろわねば、なりません。だいたい時期的に偏るようで、おおむね凶運気に内界の仕事をする事に成るようです。ゴッホなんか見ていると、「一生、凶運期だったのではないか?」と思われる程ですが、あんまり長く凶運が続く人は、一度目を外ばかりに向けてみるのも一手かも知れません。非常に軽薄な事を言うと、その方が結局、たくさん描けたかも知れません。

 この内面からの誘惑は、ちょうど歌声で舟人を魅了して、水に引き込むと言う人魚を相手にしているようなものです。本当に一流の人間でも、よく自殺をしていますね。まったく惜しい事です。「ちょっとやり過ごして、もう二三作書けば、人生も作品も完成していたろうに。」と思う事もしばしばです。
 また、才能が一流であれば、返って来る打撃も、私のような凡人には想像もできない重いものがあるのでしょう。私は二重のさいわいに助けられて、後悔している。気楽なもんです。

 また、「自分が一生の間で作ったもののうちで、案外これが一番、人に喜んでもらえるものではないか?」とも思いました。

 何よりも、私はこれを作る事を、自分で止める事は出来ませんでした。それは、
 「自分なりに、易経をマスターしたい。 易は、おもしろい。」
 やはりこれが、一番の動機、原動力だったと思います。私は易という美酒を、煽っていたのですね。

 (↑ カッコイイ事を言っているが、実際は下り坂を走り始めた時のように、止めようがなく、『だ、助じけてくれえ………』の心境でありました。本文の最後を見ると、AM2:55に成っていますね。あれは、
 もう、「あした休みだし、起きてまたこれを続けるのはつらい。ムリして今日、全部つくってしまおう。」と思ったからでした。
 おかげで、既済は「すでに」で、未済は「いまだ」ではじめて、かえって覚えやすく成っています。あの調子でまた、書き直したいと思います。

 と言う訳で、私は次の仕事にかかります。校正は、年に一度くらいに成るかも知れません。しかし易経は、私の全部の中でも、特別な存在です。全分野、易と関係していないものはないので、忘れる事はありません。どうせ性懲りもなく、あちこち書き足したり、手直しするに違いありません。我慢できるもんですか。(とりあえずエッセイ二本と『易の基礎』、アップせんと………)
 (↑ 結局ネチネチ校正する事になる。)



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