プリントアウトで効率アップ!
校正日誌 2004.02.07
驚くべしっ! (うゎ、びっくりした。)
昨日寝る前、本文を印刷しました。特に思惑があった訳ではなく、会社で昼休みに読む本がなくなったので、ただ何となく………でした。暇な時に校正してやろうと。
ところがっ! 何と言う校正のスピード! 十倍はゆうに越える!
補助エンジンと、ワープエンジンくらいの差があるっ!
朝、お茶を飲みながらの五分間で、数卦進む。
驚いて、10分延長。20卦ほど進む。しかも、単にテニヲハを変えるだけではないっ。気に入らない爻は、句の屋台骨から解体して、まったく新しく作り変える。
早いっ、速いっ
そうか、じゃあその調子で早く仕事しろ。
と言う訳で職務に戻ったのですが、家に帰って来てから、お風呂に入るまでの2時間弱で、所々本を参照しながら、最初から最後まで全編の校正を一通り終える。
今までこれは、ほぼ一週間の作業でした。しかも、ただ早いだけではない。
「この爻はまた、時間がある時に作り直そう。」と思っていたもの、ほぼすべてを、作り直す事が出来ました。(出来ないものは、出来ませんでしたが………)
何故だろう? この格段の効果は………?
まず「私」が、本とノートで育った事も、無関係ではないでしょう。個人差もあります。
そして、作業の手順に馴れている。爻数や卦名の入っていない爻、あやふやな爻に、丸印をつける。
エンピツで、慣れた表記法で文字を書き込む。
自分のホームグランドに、獲物を追い込む……… しかし、それだけでしょうか?
たとえば伝票の束を「どさっ」と机に置かれ、
「これ、今から全部、帳簿に転記してくれ。」と言われるのと、
「これ、今から全部、エクセルに入力してくれ。」と言われるのと、かなり差がありますね。
入力には、人を惹きつける何かがある………
人間は、機械的な作業の繰り返しには、耐えられません。タイピングソフトが売れるのも、それが脳の色んな所を刺激してくれるからでしょう。あれにはちょっと、ムキに成ってしまいますね。
「これが、アダに成るのかな………?」
紙を前にしているのと、パソコンの画面を見ているのとでは、明らかに精神状態、意識の状態が違う………
これには多少気づいていましたが、まさかこれ程とは………
単に「光の量が違うからだろう」とだけ、思っていましたが、確かにそれだけではない。紙に触る刺激とか、直接文面に書き込めるという事が、何かの『実感』を与えるのか?
例えばテレビを見ていると、向こうからこちらに能動的に刺激がやってきます。これは誰でも感じると思います。テレビが嫌いであまり見ないと言う人は、これがイヤなのでしょうね。「ものが考えられなくなる。」と言います。
私も酷く落ち込んだ時、「テレビを見ている間は、ものを考えなくていいからラクだな。」と思った事があります。ただ受動していればいいのですから、ストレス解消には良い事ですね。
反面これは、かなり恐い事でもあるでしょう。
また、眼精疲労と言うのか、独特の疲れもあります。本気でストレスを解消するには、音声だけの落語がお勧めです。意識の七割を占めると言われている視覚が自由なせいか、話を聞かずに、気が付いたら自分で取りとめのない事を考えたりなどしています。
「パソコンの画面を見ていたら、習慣的に受動モードに成ってしまう。」と言う事も、あるかも知れません。
これに対して紙のメディアには、「こちらが能動的に見に行く」と言う感じがあります。「そうか。これが前頭葉を活性化させるのか? データを集めて、『思いっきりテレビ』に売り込みに行こうか?」(笑)
(書き忘れていましたが、印刷された『数え歌』を読んだ時、質の低さにも驚かされました。「これを見逃すか?」と言うのも数爻あり、ヒヤリとしました。やはり、前頭葉関連、あやしいです。)
私の子供時分には、「マンガを読むな。テレビを見るな。」と言われたものです。それは、「想像力がなくなるからだ。」と言う理由でした。
マンガには絵がありますから、文章から状況や雰囲気をイメージする脳の部分を使わない。その辺の脳の部分との神経がつながらないと言うのが理由です。昔の人は、マジメですね。
「三歳以下の子供にテレビを見せるのは、百害あって一利なし。」
と聞いた事もあります。番組によっては、そう極端な事もないと思いますが、まあ、脳が独特の能動性と受動性を持つ貴重な時間を、かなりもったいない使い方をしているとは言えましょう。
今や「ゲームばかりしていないで、マンガも読みなさい。宮崎先生のアニメを見て、優しい心を身につけなさい。」などと言われていますね。音声を聞きながら効果的な絵を見る事は、確かに本とはまた違った所にシナプスをつなぐ事と思います。
次世代にはどうなるか、期待ですね。
仕事で効率を上げるには、机をコの字型にして、前にパソコン、右に机、左と(後ろ)に資料を持って来れば良いかも知れません。(どこから出入りするのでしょう?)まあ、我が家では望むべくもありませんが、工夫は多少できます。
何か仕事に行き詰まった時、プリントアウトしてみたら、案外効率が上がるかも知れません。
校正日誌補足 2005.0314
NHK『クローズアップ現代』で、友人に、「メールを打つと手紙を書く」では、脳の活動する部分に、非常に大きな違いがあると報ぜられました。
活性化している、つまり使われている部分の範囲が、手紙のほうが格段に大きい。
昔、テレビドラマで作家が、「秘書」に口述を筆記させているシーンがあり、
「俺ならこれじゃ、一行も書けないな。」と思った事があります。
語りと筆記では、ぜんぜん違う。メールは語りに近いものでしょう。
口述筆記なんか出来る人は、本を何十冊も書いていて、自然に「筆記モード」が出来るのでしょうね。もっとも、「おれは最初からできたよ。」と言う人もあるでしょうが、私には不可能ですなあ。(だいいち、秘書いないもんね。)
また、文章修業で「書くように喋れ、喋るように書け」と言う人のいる事が、思い出さました。たぶん、音声を視覚的に、視覚的な字面に音声を、常に関連させる練習なのでしょう。