車・過去を占う
校正日誌 2004.01.17
九年前のこの日、あの阪神大震災があった。
じゃあ今日は、雪で一悶着あったのも、仕方がないか。
車を廃車にする2日前。急に寂しくなって泣けてくる。
しきりに父の姿が目に浮かぶ。母も同じ気持らしい。
「しまった。少々の犠牲を払っても、母が生きているうちは、この車を維持するべきだったか?」
占ってみる。こう言う事も、占いの対象なのです!
東洋系の運命学では特に、「道義的に占いの対象にすべきではないものは、占ってはいけない。」と言う事があり、意識にこう言う規制、制約をかける事によって、更に占断にスルドサが増すのですが、基本的に、
『疑問のすべては占いの対象』
なのです。こんな事が出来るのも、易ならではですね。他の雑占法では、相当の熟練者でなければ、ちょっと難しいでしょう。
この場合、すでに「決定事項」で、占っても何の意味もありません。同様に、別れた恋人の安否、あの時こうしていれば、今どうなっていたか? など、過去を問う事は無意味な質問で、(たとえ明日死ぬにしても)これからを歩んで行かねばならない私達にとっては、「考えるべきではない事」でしょう。
しかし自分の人生を考える時、疑問はつきません。疑問を疑問のまま課題として考え続けるのも良い事です。たぶん、それが本当なのでしょう。しかし、易は自分の深い心に問う事でもあります。まじめな気持で占ったら、本当の自分から、今の自分に適切な答えが返って来ます。(こう言う問題を気軽に占ったら、疑惑のドツボにはまります。本当に自分の気持が知りたく、どんな答えにも耐えられる状況で、占ってください。だいたい、『自分がその問題をどう思っているか?』と言う事を示唆する答えが返ってくるようです。)
この場合、得た卦は………
雷天大壮の6爻。『数え歌』では、
強弩も末勢 薄絹の 絡からみ付きおる 大壮に
うまく処すれば 六(ろく)に悩まず
これに対して『ぐるぐる易』の一行コメントでは、
「もう力は失われた。………」で始まる的確な文章。
この場合、こちらの方が的確です。
ぐるぐる易は『メニュー』からは無理ですが、何か立卦して、各爻をクリックすると爻の陰陽が反転して、好きな卦を表示させる事が出来ます。この方法で各爻のコメントを自由に読む事が出来ます。お試しあれ。
そしてこのように、複数の解釈を読むと、印象が強まって、自分でもあれこれと考えて、よく覚えられるんですよー。
しかし私の本文は、原意をずらしていますね。書き直しておきましょう。
校正日誌 2004.0828
車、後日談。
軽の中古を買う。新しい車だから、堂々と「新車です。」と言う。
そうしたらみんな、新車と思っているようだ。
仕事で遅くなった時などには、車の肩を叩いて、
「さっ、おとーちゃん、帰ーえろっ」
などと言う。こうなればパブロフの犬と同様、車=父に成っている。車なら何でもいい。
「いったい私があの車に抱いていた愛着は、何だったのか?」
物なんて、こんなモンかも知れません。あまり、執着しない事ですね。
しかし、死んでからもこれほど想われるとは ……… 子供は、産んでおくものですねえ ………