両儀(陰陽)

 「 太極 両儀を生じ 」と繋辞伝にあるように、大極の次に生ずるのが『 両儀 』です。
 これが易の『 陰 』と『 陽 』です。では陰とは何か? 陽とは何か? というと、これがなかなか難しい。けれども良い説明の仕方があります。
 『 間脳 → 右脳・左脳 』という、これ以上ない直截な説明です。

 前ページ『 太極 』で述べたように、「 内外からの刺激の一切は、龍のように脊髄を上昇し、間脳付近に集められ、そこから現実の地平、新皮質脳へと投影される 」のですが、最初に大きく右脳と左脳に分かたれます。ですから加藤大岳師は両儀を、
 『 太極が両つに分れて成ったものではなく、同じ太極の表裏・順逆を観たものです。( 易学大講座 第一巻 p12 )』
 と述べています。だから陰陽の奥には常に大極が見え隠れし、『 陰・陽 →大極 』という図式は、ものの根本的なあり方となります。

 両儀の説明でもっとも良く使われるのが、「 コトバ 」による説明です。いわく、
 「 天と地、男と女、光と闇、この世界(のコトバ)はすべて、対(つい)に成っている。」
 などです。しかし天は天、地は地としてあるだけで、人間が勝手にそう認識するのです。人間のみならず、脊椎があって脳が左右に分かれている者にとっては、これが根本的な認識の仕方でしょう。

 結果、人間はすべてを対立概念として認識するのです。
 『 人間は ……… あらゆる生き物は、自らの意識の形式に従ってしか、ものごとを認識できないし、思考する事もできない。』
 この致命的な事は、「 常に意識する事 」によってのみ、その災厄から身を守る事ができます。

 そうれば対立する二つの概念は、他のすべてとお互いに、有機的につながり合う立体的な網の目の中の、無数の分子の一つと成って、実際の姿が見えて来るでしょう。

 例を上げましょう。『 三柱神 』という、心理学者が「 トライアッド 」と、わざわざ横文字を使い、注意を呼びかけている重要な概念があります。( これはシジキーという、道祖神のような男女一対の神( 陰陽 )から進展したものと言われています。)
 仏像の『 三尊像 』などです。例えば智慧そのものである釈迦如来を中心に、絶対智を象徴する文殊菩薩と、相対智を象徴する普賢菩薩が両脇にいるなど、たくさんの三尊像があります。
 河合隼雄博士は日本神話を分析し、「 相対する対極を両側に持ちながら、その中心を、神話には直接登場しない無為の存在によって占められている 」と指摘し、それを「 中空構造 」と命名して、無為の中心が左右のバランスを取っている。これが日本人の意識の特徴ではないかと提起されました。なるほど、エホバやゼウスが大活躍する神話体系とは、えらい違いですね。例えば『 現代人と日本神話 』P94にあるような表、

中心
アメノミナカヌシタカミムスビカミムスビ
ツクヨミアマテラススサノオ
ホスセリホデリ(海彦)ホオリ(山彦)

 などです。
 しかしここで急いで申し上げておかねば成らないのは、
 『 日本神話は特にトライアッドに成っていない 』
 という意見がある
事です。
 ( 『 日本神話の英雄たち 』林道義 著 文春新書 p92~100 )
 例えば「 アマテラス( 太陽の女神 )とツクヨミ( 月の女神 )は、イザナギの両目から生まれたペアであって、ツクヨミを中心としてアマテラスとスサノオを配するには無理がある 」など、他でもこうした形式的な整合性以外に、「 中空によって特にバランスを取っている訳ではない 」など、五つもの疑問を呈しておられます。

 『 自然 』はただそのままあり、それを人間が「 天と地 」として認識する。
 人間は、存在を対立概念としてしか認識できない。
 人はその裏表、左右を見るが、そのもの自体( 本質 )は見えない。

 そしてこの認識の仕方は間違っており、若い頃、「 この世界の苦しみは、この世界を支配している根本的な法則に起因するのではないか?」と考え込んだ事がありますが、おそらくは、「 これがそれ 」です。この事は次の『 四象 』でも少し触れます。そしてこれは仏教の悟りとも言える、『 四智思考 』 に、深い関わりがあるようなのです。

 不生不滅。……… 物そのもの、本質、生命は、生じた訳ではないが、我々の認識には生じて来る。滅した訳ではないが、我々の認識からは消えてゆく ………

 『 論争とは、ある概念を中心に肯定と否定を繰り返す事。』
 と仏教学者から学びましたが、仏教で『 論争 』というと、『 存在( 生 )を展開する 』という含みがあります。そうするとすぐに死に至り、輪廻から解脱できない。( 肯定と否定は生と死です。)それで『 戯論(けろん)寂滅 』しようという訳です。ともあれ、

 『 太極 → 陰・陽 』こそ、もっとも根源的なトライアッドで、
 それを極限まで単純化した図式が太陰大極図

 であると言えましょう。

 また、最近やっと気付きましたが、大極・両儀は、哲学の弁証法で言う『 正・反 → 合 』そのものでもあります。


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