太極

 太極とは、世界( 宇宙 )を産み出している一つの『 意志 』の事です。
 この世界が、何かのある一つの力から産み出されている事は、今では科学の方でさえ『 物質 = エネルギー 』と、常識に成っています。
 この世界のあらゆる空間の一点が、躍動する生命力に満ちているという事。これは太古からあらゆる詩人が謳い上げて来た、本当は誰でも知っている事です。ただ、始めてはっきり意識した時には、誰しも感動します。

 これはキリスト教の方でよく言われる事ですが、ヘレン・ケラーに『 神 』の概念を教えるのに、サリバン先生はひどく絶望していたそうです。
 「 目も耳も聞こえず、喋れもしない少女に、どうやって『 神 』を教えよう? こればかりは無理だろう。この子は一生、神を知らずに終わるのだ。」
 そう考える事がクリスチャンにとって、どれだけ情けない事だったかは、想像に余りあります。しかしサリバン先生が口ごもりながらも教え始めると、ヘレン・ケラーはすぐに、
 「 あら、私それ知ってるわ!」
 と答えたのでした!
 そういえばそれは、別に目や耳で知っている訳ではない。

 プラトンがイデアと名づけ指し示し、原始仏教が渇愛、貪欲と呼び、時代が進むに従ってアーラヤ識、また半ば人格を付与されて大日如来となり、カントが「 物自体 」とし、ショーペンハウアーが『 意志 』と命名し、臆面もなくその表現を自慢したもの。では何故、我々はそれを知っているか?

 使い回しの図ですが、右の通り、
 人間は、自己と世界を同一視して認識するからです。
 目に代表される(内)外からの刺激の一切は、龍のように脊髄を上昇し、間脳付近に集められ、そこから現実の地平、新皮質脳へと送られます。
 新皮質脳はちょうど、映画のスクリーンのようです。ですから我々は、うつ向いている人が空を見るには、どうしても水面に写った影を見なければならないように、外界を認識しようとすれば、実際には自分の脳の中を覗き込む格好になるのです。
 認識は刹那ごとに行われるので、一切の存在は刹那ごとに生じ、また刹那滅という事になる。
 神は絶えず世界を創り続けているという事になります。

 この間脳からの刺激、情報が、プラトンが『 精神界の太陽 』と表現し、瞑想家や臨死者が意識の奥で幻視し、易が『 太極 』と呼んだものでしょう。

 では脳神経系の仕組みによって、そのように感じるだけのものなのか? それは説明がついたら、否定されるものなのか?
 私はむしろ、逆だと思います。「 科学でも、物質 = エネルギー 」 と最初に言ったように、現にその通りに成っているじゃないですか。
 宇宙も人間も同じ法則で作られている限り、その根本的な仕組みは同じである筈です。
 太極は、宇宙と意識の根源であると言えましょう。

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