旅行か戦争か
最初、『ゲーテは色彩論の草稿を、ワイマール戦争の戦火のさなか、肌身離さず持ち歩き、加筆、訂正を繰り返しました。』
と書いておきました。これは私にとって、「琵琶湖は滋賀県にあります。」と言うのと同じくらい、常識的な事だったのです。
が、最近必要あって『視覚と色彩について』を読んでいましたら、「第二版へのまえがき」に、
そもそも、わたしはこの論文を一八一五年に書き上げたが、ゲーテはその草稿をわたしの予想以上に長期間かかえていた。彼はそのころ出かけたライン旅行にこれを持ち歩いたのである。
と言う文章を見つけました。
もしゲーテが『色彩論』を、戦火の中に持ち歩いた事があるなら、彼は必ずそれも書くはずです。
調べてみると、1815年には『ワーテルローの戦い』がありました。これは「訳者あとがき」で、金森誠也博士が指摘される所でもあります。
あの、ナポレオンが敗れた ……… 『レ・ミゼラブル』で有名な ……… あんな雰囲気の中で、色彩論は書かれていたんですね。
しかし、「戦火の中を肌身離さず持ち歩き、加筆、訂正を繰り返した。」と言う表現は、若い脳に焼き付いており、必ず活字で読んだはずで、だからそう信じている人も多いと思います。
しかしどう考えても、これはおかしい。出所が見つかれば、ご報告申し上げます。
結果的に間違いを述べてしまった可能性が高いようですが、今後、しっかりした資料を、全部自分の目で確かめて書くよう、心がけたいと思います。