ついでにハウルの動く城

 こういう『説明』をするのは無粋で、作者にもファンにも失礼な事に成ると思って、日本人はあまりしません。(欧米人は、どんどんやるそうです。《-笑-》)
 何より「説明した事で理解出来たと錯覚する」と言うのが、恐ろしい事です。芸術作品と言うものは、そんなものではないのですからね。
 「そのままを味わう」事の邪魔にも、成り兼ねません。また、こういう説明をするのが苦手な人が、「自分はこの作品を理解していなかったんだ。」などと思うなら、まったくの本末転倒と言えましょう。
 しかし、「城は何故あんな格好をしているのだ。何故、家が歩き回らねばならんのだ。まったく馬鹿げている。本当に無意味で幼稚だ。」などと言われたら、ちょっと寂しいじゃないですか。あんなに面白いのに ……… そして、見て面白く感じたのは、ちゃんと確かなものがあったからだと言いたいのです。


 主人公ハウルは「動く城」に居住しています。つまりこれは、物々しく武装した『家』です。随分と、巨大なものです。その割には、足が貧弱です。
 「これはカタツムリだな。」と思いました。
 河合隼雄先生の処女作、『ユング心理学入門』のカバーをはずした表紙には、幼児が描いた「カタツムリの絵」が印刷されています。これは『家』と言うものから顔だけを出して、『家』を引きずりながらゆっくりと歩き始める、幼児の自我発展の最初の一歩を、幼児自身が表現した絵です。
 先日、異常な殺人事件の犯人が、小学生の頃、「おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんもお母さんも、ボクと一緒に学校に来て、一緒に授業を受けて欲しいと言う妄想を抱いていた。」とラジオで聞きました。幼児は殻、家の中にいないと、まだまだ不安なのです。
 その犯人が、その記憶を明言したと言うのは、「今でもそうだ。自分にはそう言った安心が欠落している。」と言いたいのでしょう。(しかしこれは、罪を免れるための何をもにも、成り得ません。これが精神疾患だとすれば、誰でも精神病と言う事に成ってしまうでしょう。)

 不安だから、色々と武装する。青年期と言うのもおそらくその延長で ……… など言ってられません。私だって、「これを題材に何か書いてやろう。」とか、「こう言われたら、これで反論してやろう。」などと、『資料』と称して、紙ゴミの山を蓄え、『物々しく武装して』おります。
 本当に自分の必要なものなどきっと、驚くほど少ないのでしょうにね。


 主人公ハウルが幼児期に、幻想的な野原に佇んでいると、たくさんの流れ星が飛んで来ます。その中の一つが自分に向かってやって来て、ハウルはそれを呑み込みます。たくさんの運命の中から、その一つを『受け容れた』のです。
 これは能動でも受動でもある、まさしく 『 結婚!』

 その時、ハウルの手のひらに、炎の妖精が産まれます。『手』が産み出したようにも、両手で受け止めたようにも見えます。
 これは、情熱的な『才能』で、若いハウルはそれに命令ばかり下していますが、その由来を思い出した時、「自我と才能は分化」されます。
 よく、ものすごい才能や業績があるのに、ぜんぜん威張らない人がいますね。あれは、自我と才能がきれいに分化できているのです。おかげで彼らは、才能を自由に使う事が出来るし、高ぶって潰れてしまう事もないのだと思います。

 分化した才能は、『自律性』を持って、自我の友人となり、自我と良好な関係を構築します。決してハウルから飛び去っては行きません。
 かえって、ハウルのためにならない事には、働こうとしなくなるかも知れませんし、これからはハウルを励ましなぐさめる、よき友人、いや、導き手とも成る事でしょう。

 ついでに言うと、ヒロイン、ソフィーは「父の家を守る」と言うまことに女らしい気持ちから、かえって老婆のように心が硬化してしまい、未来を閉ざしています。そしてハウルと共に成長する事で、本来の娘らしい心を取り戻して行きます。
 「こんな回り道をせずに、成長して行きたいものだ。」
 とも思いますが、それではただ、能力を蓄積するだけで、成長とは言わないんじゃないか? それでは身に付けた能力を、実際に使えるようにならないんじゃないか? とも思います。
 けれどもそんな心配だけは、無用。厄介事は山のように押し寄せて来ますからね。けられるだけ避けて、ぶつかったものに苦労していれば充分です。《-笑-》
 しかし、けるべきではない苦労もある。ソフィーにとってそれは、「父の家を守る事」だったのでしょう。だって、それを放棄したら、今までと、今の自分を全部、捨てなければならない。それじゃ、先へ進めない。どっちへ行っていいか、解らないからです。
 それでも捨てるべき時もある。この辺が人間には判断できない、難しい所です。
 まあ、どっちへ行っても、本当は同じなのかも知れません。

 以上、ちょっとだけ、やってみました。これ、本気で取り組んだら、相当長い文章に成ります。