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爻辞 - 帰妹は征けば凶。利しき攸 ( ところ )なし。
夏のものである雷が、終わりを全う出来ず、兌( 秋 )に猛る。これは異常な事である。
三陰三陽の卦だから、泰か否からの変化と見ると、泰の上下が接する陰陽が、まず入れ替わった象 ( かたち )で、否への第一歩という見方もある。
震 ( 長男 )と兌( 少女 )、年配の男性と若い娘の組み合わせ。
これは一夫多妻制の古い中国で、正妻と共に嫁いだ娘の象。
兌を悦び、震を動くとする。つまり『 欲望で動く 』
他の事を考えず、情欲のみの結びつきでは長続きしない。
素直に見ると、動き行く震を、兌の少女が追う象。
積極的なお嬢さん。結婚しない事が前提の、遊びの恋という意味も ………
また、私利私欲の不正とも見え、それなら同様に凶。
本来、兌は乾の上部が欠けた象で、中途挫折の暗示がある。
上が欠けた象で毀損( きそん )、壊れるの意がある。
「 帰(とつ)ぐ 」と読ませるのは、女が嫁ぐとは、本来の場所に帰る事だからという。これは前卦の『 漸 』と対応する。
帰妹は本来の場所におさまりゆく事。それが一人の男のもとへか、崇高な理念へかは、知りません。
男性が占って「 嫁ぐ 」 というのは、職業の事が多いと思う。また、『 信念・方針 』の事もあります。
原典と訳
彖伝に曰く。帰妹は天地の大義なり。天地交わらざれば万物興( おこ )らず。帰妹は人の終始なり。
説( よろこび )て 以て動く、帰( とつ )ぐところは妹なり。
征けば凶とは、位当らざればなり。利するところなきは、柔が剛に乗ればなり。
象伝に曰く。沢の上に雷あるは帰妹なり。君子以て終りを永くし敝( やぶ )れを知る。
愛し合う事は、人類が滅亡してしまうので、天地の大義である。「 ああ、仕方がない、仕方がない。」と言いながら、いたしましょう。
それは確かに、人の何かの終わりであり、何かの始まりである。
娘としての世界は終わり、女としての地平が始まる。
よろこびによって嫁ぎゆくのは、若い少女である。
何ら良い事がないというのは、情欲や当面の喜びはすぐ醒めるもので、そのあと残るものを考えていないからだ。
卦の上下とも、主爻たる三、四爻が中を得ていないからで、また、陽の上に陰が乗っている。つまり男女、主客、目前の利益や喜びと、生活や人生の基盤という、本末が転倒しているからである。
象伝。 君子は聡明で、以上のような事を観察し、不正や不義はやぶれると知って、終わりを永い先へと押しやる。
総合運は、以上の通り。情事、不正をまず自らに戒める。互卦は水火既済で、実際にはそれが露見する段階に来ている。先の離で露見し、後の坎で苦しむ。女性には夫がそのような事に成る事もあり、「 こんな卦が出たぞ。」と釘を刺しておかれるのも一手。
運期は「 秋の雷 」。時期を逸している。正常ではないので、しなければならない事は、努力と一工夫が必要になる。
事業・願望、転居なども時期を逸した。泰から否への始まりの暗示。目先の利益に迷い、不正・不義に走りがちで後に破れを招く象。価格も正当ではない暗示があり、現状維持が基本です。むしろ冬の気配に注意して、感じる所があれば対応すべきでしょう。
恋愛や結婚については、上記の通りです。惹かれ合ってまとまるが、添い遂げるには二人で困難を乗り越えて行かねばなりません。最低の計画性は持っておくべきです。
出産は間近ならば、震が奮い動く、また直接「 子供 」の意で、兌は喜びですので安産ですが、早期なら中途挫折の暗示で注意を要します。
病占では、泰( 安定 )から否への第一歩とも見えるので、早期に手を打つ事。雷は気の亢進、兌は肺、互体の坎と離から心気亢進や神経過敏でのヒステリーや、その反動での精神の衰弱、精神的な傾向の強い咳、高熱、腎虚など。
待ち事は向待法(『 易の基礎 』参照 )で、外卦( 彼 )が震で動く、内卦( 我 )が喜ぶで、程なく来ます。しかし卦の大意から、後の災いを防ぐよう、妄動を慎むべしです。
ところがっ! 談判・交渉・取引等、相手のある事では、外卦( 彼 )は『 倒艮 』、つまり、相手から見たら雷は引っ繰り返って山と成り、動かない。兌を口と見、こちらが語りかけても動かない。聞いてもくれない。なぜ上の『 待ち事 』と正反対に成るかというと、待ち事は終始こちら、内卦が主体だから雷は雷のままです。恋愛でも一方的に相手の出方を待つ場合は、相手から動いて来てくれる。しかし対等のやり取りをしているような場合では、相手は山となり動いてくれない ……… という訳です。ビジネスなどでは『 秋の雷 』で、納期遅れ等に注意して、手を打っておきましょう。
家出人はそのまま、動き行く震を兌の少女が追う象で、互体の離で燃え上がり、坎の大河の前に行き悩んでいる所ですから、障害のありそうな所を捜せば見つかりましょう。
失せ物は、震の象意( 気の奔流 )、大通りなどで、沢の毀損( 上が欠けている )、壊れた形で見つかるかも知れません。
天候は、雷雲に溜り水で曇り。足場が悪く、季節によっては雷が鳴るかも知れません。
小林一郎先生は帰妹の好例として、和宮様( 徳川末期、孝明天皇の御妹 )が、将軍家に御降嫁された例を挙げておられます。
和宮様は好んで嫁ぐどころか、御許嫁までおられたのですが、とにかく両家の和睦、あわよくば「 公武合体 」で国家の安定を図ろうという気勢に従い、自らを犠牲にして将軍家茂の御台所と成られたのでした。
馴染みのない武家に嫁いだにも関わらず、大奥の女中衆も感じ入るほどの、模範的な夫人として家茂に仕え、わずか六年後に家茂が急逝した後も、ただ徳川家の安泰に尽力し、ついに官軍が江戸に進行し、すべての努力が無駄に成ったと知った時も、
「 徳川は永く国のために尽くしたのに免じて、どうか徳川家の無事をお計らい頂きたい 」
という嘆願の手紙をしたため、官軍参謀の西郷隆盛を大いに恐縮させ、後に、
「 何と言っても和宮様のお手紙を受け取った時ほど困ったことはなかった。実にどうも、畏れ入ってしまい、なんとも申し上げようがなかった。」
と言わしめています。そりゃあ、御皇妹にご嘆願されたら、錦の御旗もしおれる事でしょう。
帰妹という立場でも、やる事はやれる。いや、だからこそ出来る事もあるのですね。
小林先生は「 婦人のお手本 」と称賛しながら、「 殊に日本の国民としては、この心得を失わないようにするということが最も肝要な義であろうと考えられるのであります。」と仰せです。
今風に言うと、「 女性原理は女だけのものではない。自己一身をまったく顧みず、危難を両手を拡げて受け止めてくれた人々によって、しばしの平和も安穏もあったのだから。」という事でしょう。
小林一郎先生の『 易経大講座 』、なんと昭和十五年発行の書物。あと五年で戦争という時代です。
脇に沿い
婢女(はしため)ひとり
嫁ぎ行く
分に応じて 運も応ずる
全体の意味が帰妹を指す、という事で、許して下さい。( 泣 )
原典では姉とともに一人の男に嫁ぐ。現代ではこんな事はありませんから、かなり暗喩的な解釈をしなければなりません。
華やかな表舞台に立つ度量はありませんが、穏やかな安定があり、行けば吉という現実的な占意。
不貞なき 妻に夫は淡白で
隠者のごと帰 妹(毎)日の善
( 吉 )
男性が占って夫と出た時は、職業である事が多いと思うが、『 方針・信念 』とも取れる。
原典は淡々とした毎日を幽人( 隠者 )の喜びにたとえた。
参じ馳せ 愛を求めて
きりきりまい
頭冷やして 出直して吉
( 女性の身で )ドンファンのように積極的に色を漁り、信用を失う傾向にある。
周囲をきりきり舞いさせる者は、必ず自分が一番きりきり舞いしている。
一度実家に戻り、まじめに結婚を考えないと、嫁ぎ先がないという。
よもや君 長く孤閨を 保つとは
貞淑のもと 幸( さち )
舞い(妹)降る
嫁げなかったのは、貞淑を守って悪い相手を避けたから。そのような女性は必ずふさわしい者と結婚できる。吉。
皇帝の 妹(いも) 家臣へと
嫁ぎ行く
飾りなけれど 光り輝く
高い教養と徳で月のように光り輝く。
婚礼と 書かれし箱を
開け見れば
無のたたずまい 煙さえ出ず
佇( たたず )まい、とは、そのもののかもし出す雰囲気。立っているようす。また、そこにあるもののありさま。また、身を置くところ。暮らし方。生業( なりわい )。
仮に結婚しても、やって行ける要素がない。六爻だけあって、「 婚期を逸した者が、無理やり誰でもいいから結婚する 」と解釈する人が多い。それでは ………