火と沢(水)異なったもの同士の調和。睽は「そむく」。何もかも食い違う時期。
離火は上に昇り、沢水は下に降り、まったく方向が違う。
小さな反目があるので小事に吉。大事は不可。
離の卦形は目も表すが、下卦は沢で、睨みつけている象だという。
一(意)に そむき
去りし望みは 向こうから
( 吉 )
「 去りし望み 」 とは、原典では『 馬 』。命にかかわるような大事なもの。
交渉です。馬を返してくれる可能性は大きい。相手は虚勢を張っていても、困っています。
そむく中 君臣二人
会いがたく(火沢)
探し求めて 路地裏で遭う
( 吉 )
三(み)動きも
取れぬおかげで 疑われ
刑(けい)を受けても
後に報わる
( 吉 )
世にそむき
とり残されて 敵と組む
危うけれども
警(けい)戒して無事
けいの王 力なけれど 親族の
応援ありて 楽に蹴散らす
ばけものと おぼしき者を
よく見れば
強き味方ぞ
雨の降り けいは終わらん
「 おぼしき 」 とは、「 思われる 想像される 」 の意。
自分で作り出した恐怖との格闘。強烈な投影が終わりを告げます。
投影とは、自分の中のものを、他者に投げ映して見る事ですが、この場合は自分の中の恐怖や短所を投影し、相手を嫌悪、憎悪するのです。
この爻は、それが錯覚だった。案外、力強い味方だった事が判るという意味です。
原典では『婚媾せんとす』。ばけものと結婚するというのです。河合隼雄先生も、「私自身の経験からも、意外な人との性行為の夢は、その人の持っているものを、取り込む事を意味する事が多い。」と語っておられます。
河合先生が、何故ご自身を引き合いに出してまで、こんな事を述べて下されたかというと、我々の罪悪感を減ずるとともに、これが、非常に大切な事だからです。
昔話でもよく、お姫様がカエルと結婚したら、それが王子様に変わるなどの話がありますね。(もちろん実際に、結婚しなくてもよろしいですので、ご安心下さい。心理的に一線を超えるという意味です。もちろん実際に、一線を越えなくてもよろしいですので 《笑》……… 念のため )
自分の嫌悪しているもの、自分の正反対のもの( 言わば浅い『影』)……… これは、個性ではありません。反対に、個性化の道の「邪魔者」です。意識の結びこぶや滞( とどこお )り、かたくなな癖、思い込み。これと対面し、味わい経験し、「自分がそれに成ってみて」、それを自分の人格に取り込んでゆく。自分を深め、高め、拡大して行く。これはユング派の言う自己実現の、一つの本流です。(というのも、自己実現 《私の物語》 には、一つの『型』などないからです。)
同性や近親との婚媾は抽象的なもので、「意識の焦点が深い所に合い過ぎている」というか、「浅い心と深い心が混線している、錯綜している」……… ちょっと表現に苦しみます。表現すると、答えから離れてしまいそうです ……… 傾向が、強いからかも知れません。神話などでは家族で、火の神と風の神が結婚したりします。
また、西洋の方では王侯貴族や芸術家、哲学者など、言わば「浮世離れした人」が、現実に抽象的な結婚をしますね。
もちろん非難する訳ではないのですが、本当に望んでいる自分の人生を、現実に「生きそびれてしまう。」という危険は、あります。
東洋の方では、基本的に意識が内側に向かっているので、「知らないものを外に求める」傾向が少なく、多少は安全ですが、私もせいぜい、浮世離れしないように、気を付けましょう。(明日は、ネギと味噌を買って帰らねば。)
さて、この『 投影・転移 』というのは、実に頻繁に起こるもので、これにはまり込んでしまうと、自分ではまったく自覚できません。私もアタマで「そうなんだから」と、自分に言い聞かすばかりです。
自分が一番苦労しているので、こうして書いてしまうというのが本当です。
「他人」と思って、心理的に距離を置くのも一手かも知れません。消極的な方法ですが、そんな事を言ってられないくらい、深刻な場合も多いのです。
また、こちらが投影すると、相手も「その通りに振る舞ってしまう、役を演ずる」という傾向もあり、厄介です。
たとえば、「あいつはダメ社員だ。」という事に成れば、彼は次々と失敗し、「お前は巨人の四番だ。」となれば、どんどん打ち始めたりします。
「この子は悪い子だ。」という事に成った時、必ず一人や二人、「いや、この子は本当は、いい子なんだ。優しい子なんだ。こんな子が、のちに立派に成るんだ。」と言ってくれる大人がいたものです。これは本当に、長い間その子を助けます。
( しかし本当は、逆境の中で希望と目標を捨てず、地味に努力してゆく長い時期が、人格や幸福のためには必要です。)
本田先生は「雨とは陰陽が和合する事。」と、しばしば述べておられますが、面白い事に、ユング派の夢分析でも雨は、今まで反目していた「 意識と無意識の疎通 」と解釈する場合が多いです。この場合はさわやかな雨、「おしめり」です。
(単に障害としての雨の夢も多いです。)