06 天水訟
訟は争って傷つく。
結果を考え、意地を捨てて自制すべし。本来自分のなすべき日常の事に心を戻し、正業に専念すべし。
訟は「 言 」 を「 公( おおやけ )」 にするという文字。
原典に、『 おそれて中すれば吉。終われば凶。大人を見るによろし。大川を渉に利しからず。』とある。
勝っていても途中で切り上げ、最後まで、とどめを刺すまでやめないというなら自らも凶禍を受ける。何の良い事もない。
「 大人を見るによろし 」 とは、このような時には、良く話のわかった人に会い、意見を聞くこと。それは二爻と五爻、こちらとあちらの「 中にして正 」 を得た人。
教えを聞くという事は明知、『 離 』に属する。こちらが態度変更して、坎から離に変わると、和解と協力を意味する天火同人の卦と成る。
『 離 』( 明知 )とは、当方と相手、周囲や社会の状況を見る。また時勢を見て、よく総合判断する事。
この状況では交渉・取引・縁談・受験・就職など対象、相手のある事は、そもそも双方の意向が合わず、行き違いが多い。
天はのぼり、水は低きに流れる。『 天水背行 』( 天と水がそむき行く )の象( かたち )。
争いは当然運期を損ね、外卦は乾で剛健なれど、内実は坎で貧困、懊悩の象。怒っている人は、常にそうである。自らを害し続ける。
これはまったく、四の陽爻が坎の水にフタをし、その流れが止まる象。何かをする、始めるなどし、それに怒りのエネルギーを使い、この状態を抜け出すべきである。
開業・転業も当然見合わせたほうが良く、もう一度、現在の業務に専念してみる。
出産も難が多く流産等よく注意を要するが、『 天水背行 』、母子の方向が違うので、臨月に近ければ難なく出産できると見る。
病占でも医薬、治療法が「 行き違い 」と成っており、誤診という事もある。
失せ物・家出人も、やはり「 行き違い 」で見つかりにくく、争いが原因で出たのなら、ほとぼりが醒め、許されるのを待っているのかも知れない。
天候は、天の下に水があるので雨。冬なら霙( みぞれ )かも知れない。
初六の訟は 少々で
しつこくなければ ついに吉
次には上に 噛みつくも
訟々恥じ入り 咎はなし
忘年会で社長のナベ蹴ってひっくり返し、その上どなりつけ、翌日あやまって許してもらった奴がいましたが、これはまさにそれです。
この男は「 どうでもエッセイ > 『 土用 ウナギの思い出 』の主人公、あのMです。
訟を隠して 三度笠
危うけれども 平の道
不平を隠して平常どおりに振る舞う。
長(おさ)の下 されど訟あり さからいて
戻りつつしむ 平常の道
首長(しゅちょう)の五(語)
訟は英断 名采配(吉)
社長のする訟は不平ではなく、勇気ある舵取り、挑戦であると言う意味。
訟も昂じて 好訴症 家も畑も売り払い
それでも吠える 犬のよう