04 山水蒙
蒙( もう )とは、「 ぼけーっ 」として、はっきりしない事。山水画のようなイメージ。見通しが暗い。こんな時には一歩ずつ慎重に進む。
家の中の子供。無心の幼児。学び、内の刃を止めるべき時期。
教え、学ぶ姿勢が問われる。
初学では まず厳格(スパルタ)にして 様子(ようす)見て
のちに適(かな)いし 教えほどこす
『 莊子 』のどこかに、
教育、指導する時、最初厳しくして後に緩めると「 なかなか話が解るじゃないか。」と感謝され、部下や生徒はついて来るが、その逆をすると「 良い人だと思っていたのに。」と恨まれ、脱落してゆく者が出る ………
という意味の事が書いてあった。今の教育法、指導法はおおむね「 その逆 」 をしているが、さて、今どき最初厳しくしたら、全員脱落するかも知れませんなあ。( 泣 )
しかし、これが基本でしょう。
婦(ふ)を迎え 男が仕切る 蒙多し
されば子供も 家を支える
妻は夫にとって蒙昧なものだからと言うのが原典の意。「女が蒙」と言うのは、産み出す事や育む事《 深い意識 》に専念していて、殺す事や支配する事《 浅い意識 》には対応していないと言う意味に取って下さい。別にバカにしている訳ではありません。むしろ現代では、女性原理を徹底的にバカにしているように見えます。《 山地剥の卦をご参照ください。》 しかし実占では妻に限らず蒙昧なもの、実務に馴れていない者のすべてを意味します。仲良く指導して、吉。後継者も育つと言う卦です。
富や誉( ほま )れや不条理で
再三 夫を替える蒙
原典では富や誉のみ。「 不条理 」は実占の経験による。富や誉れだけで配偶者や職業を変える人は、あまりいなかった。
男性が占って『 夫 』と言うのは、職業の事が多いと思う。また、『 方針・信念 』などの事。
四に並びなき 愚か者
恥に泣いても 咎(とが)はなし
「 咎(とが)はなし 」 とは、凶禍を受ける前に改めるので、実害を回避でき、吉へと向かう事。
学びの五( 後 )
末は博士か 名君か
智慧あらば
討つより護れ 蒙のすえ